本稿は中学校令公布後、私立尋常中学校または尋常中学部として成立したもので、明治二十九年十一月、東京府から所在区長部長を経由して沿革その他につき照会をうけた八校のなかから六校をえらび回答の全容を収録すると共にこの年までに提出された二校の設立願を添えた。
中学校令は帝国大学令・小学校令・師範学校令・諸学校通則と共に明治十九年の三月から四月にかけて公布されたのであるが、私立尋常中学校として設立を認可されたのは二十二年以降であり、しかも二十七年以前は私立中学校に関する公文書が欠けているなどの事情があって、東京の私立中学校の実態をあきらかにしたのは二十九年の一冊が最初のものといってよい。例外はただ二校だけである。二十七年の尋常中学順天求合杜と二十九年の早稲田尋常中学校の設置願である。設立後日が浅いというので照会の対象となっていない。記載事項や内容に相違がみられるのはそのためである。
沿革その他につき回答を求められたもののうち二校をのぞいたのは紙数の制限によるもので次巻にはその補いをしたい。尋常中学校という名称は改正中学校令(明治三二・二)までもちいられたが、それ以後に創設されたものはもとより、それ以前に開学したものもすべて「尋常」をはずし、私立中学校とあらためて再び登場してくるであろうことが期待される。ただ残念なのは、中学校程度および同等以上のものと認められながら各種学校の扱いを受けていたものを私立中学校関係書類から捕捉することができなかったことである。
本稿の編纂と執筆は手塚竜麿が担当した。