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今回の第7巻は、「震災復興期の東京」と題して、関東大震災後の大正13(1924)年から昭和7(1932)年までを対象に、主に東京府に関する資料として、東京府庁の各部長の事務引継書を中心に収録しました。
東京府各部長事務引継書
戦前の府県庁は国の出先機関であり、知事をはじめ、部長・課長などの幹部職員は、国(内務省)によって任命される中央官吏でした。そのため部長たちは、知事と同様、時には知事以上に異動を繰り返していました。
こうした頻繁な異動に際し、素早い事務の受渡しと転任先の状勢把握のためにも、事務引継書は重要となものとなっていきました。
事務引継書には、各部課ごとに管轄する事務の内容や重要な問題などが記されていて、当時の東京府の状況と抱えていた諸問題について知ることができる格好の資料といえます。
東京府の震災復興事業
東京の震災復興は、焼失区域全体に及ぶ区画整理事業と、昭和通りをはじめとする道路の改修、隅田公園などの大小公園の整備や鉄筋コンクリート建の小学校の再建など、まさに東京の風貌を一変させる大事業でした。これらの事業は、主に国と東京市によって行われましたが、小規模ながら、東京府でも震災復興事業が行われました。
東京府の復興事業は、財政規模では東京市の数パーセント程度でしたが、当時、隣接五郡と呼ばれた、東京市に接続する郡部地域を中心に、震災前から施行されていた都市計画事業を進める形で行われました。
その主なものは、東海道(京浜国道)・陸羽街道・千葉街道・中仙道の四国道の改修と、千住大橋などの国道上の橋梁の改修工事及び東京市をとり囲む環状線をはじめとする府県道の改修でした。なお、この環状線は復興事業終了後も工事が続き、完成して明治通りとなりました。
その他、震災によって被災した府立学校校舎(第三中学校・第一高等女学校・工芸学校・化学工業学校・実科工業学校)の鉄筋コンクリート造による再建や、府立松沢病院改修、震災によって崩落・荒廃した多摩川上流の水源林の復旧作業といったものも、復興事業として行われました。
千住大橋(左が改修前の木橋・右が現在も残る改修後の橋)
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