都史紀要18 東京の女子大学

はしがき

本稿は、既刊の「東京の女子教育」の続編をなすものではない。「東京の女子教育」は、明治初年から二十二年にいたるまでの、主として、初等・中等程度の女子教育施設の成立経過をたどったにすぎなかった。したがって、高等・専門教育については、それ以後の展望のなかで、多少ふれた程度であった。

本稿では、専門学校令制定の気運にうながされ、明治中期ごろから胎動しはじめた女子の高等・専門教育について、それまでの中等程度の施設に上積みされたものはできるだけさけ、最初から高等・専門教育を目途として創立されたものに重点をおいて選んだ。その下限は大正末年までとし、それまでに成立し、現在四年制大学となっているものに限った。

本稿で選んだ九校には、以上のワクにはまらないと考えられるものもふくまれているが、そのつど、とりあげた理由をあきらかにしておいた。このなかには、現在、東京にないものもある。学園が周辺地区に移動する傾向にあるこんにち、隣接県を無視しては明治・大正期の東京の教育を語ることはできない。創設地が東京であったことは重視しなければならない。

本稿も、従来の教育関係のものと同じように、東京府へ提出された開学願書その他の公文書を中心とし、それぞれの学校史や創設者の伝記などを参考にして執筆した。当然とりあげるべき学校でありながら本稿にもれているのは、ひとえに、開学当時の公文書が欠けているためで残念である。

本稿の編纂・執筆はすべて手塚竜麿が担当した。

昭和四十三年十二月
東京都公文書館

東京の女子大学 目次

はじめに(1)
明治前期における女子の高等教育(1)
専門学校令と女子高等教育(4)
女子高等教育機関に許された格付けの限界(9)

女子英学塾(津田塾大学)(11)
津田梅子と日本の女子教育(11)、開学願書と塾規則(13)
教員認可願(25)、移転・分校設置についての届出(29)
無試験検定認可願出の文書(30)、その後の改正(49)

日本女子大学校(日本女子大学)(53)
成瀬仁蔵と女子教育(53)、設立認可願(54)
大学校規則(58)、大学校寮規(75)
大学校職制・維持方法(76)、英語予備科の付設(79)
成瀬仁蔵の校長就任(80)
無試験検定資格付与願に添付された規則書(81)
日本女子大学(93)

女子美術学校(女子美術大学)(94)
女子美術学校の成立(94)、開学願書と校則(94)
佐藤静校長となる(110)
その他の女子美術学校(112)、女子美術学校の発展(113)

東京女医学校(東京女子医科大学)(114)
女医学成立のいきさつ(114)、開学願書(115)
その後の東京女医学校(123)
明治・大正期に発足した女子の歯科医学校と薬学校(123)

東京女子体操学校(東京女子体育大学)(125)
女子体育学校ができるまで(125)、最初の開学願(127)
学校規則(129)、校舎と校名・規則の変更(134)
松平直敬の校長就任(137)、その後の移転(140)
設立者の変更(141)、設立者の追加(145)
藤村トヨの校長就任と規則の改正(147)
日本女子体育大学(149)

帝国女子専門学校(相模女子大学)(150)
日本女学校の開学(150)、女子大学設立趣意書(150)
帝国女子大学設置認可願(159)
帝国女子専門学校の設立申請(160)学則(163)

聖心女子学院高等専門学校(聖心女子大学)(171)
カトリックの女子教育施設(171)、聖心女子学院高専の学則(171)
学院財団法人定款(177)、無試験検定資格付与の申請(181)

東京女子大学(187)
統合された高等・専門教育施設(187)、設置認可申請書(188)
大学設置要項(189)、大学規則(190)
敷地認可願(211)、その後の改正(213)
教員無試験検定認可の申請(214)、安井てつの履歴書(217)
その頃の教師たち(219)、東京女子大学の現在(220)

日本女子高等学院(昭和女子大学)(221)
日本女子高等学院の設立(221)、学校設立願と学院規則(221)
設立者とその履歴書(230)、規則変更の申請(232)
昭和女子大学の出現(232)

むすび(233)
東京の女子専門教育施設創業年表(明治三三年―大正十五年)(238)
人名索引(巻末)
巻頭写真

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