都史紀要15 水道問題と三多摩編入

はしがき

明治廿六年四月一日、東京府が神奈川県より南多摩、北多摩、西多摩の三多摩地方を府域に編入したことは、東京府の府域拡張の歴史の上で一番大きな事件であったと言ってよい。

これと事情はちがうが、よく並べて論ぜられるのが、昭和七年の市域拡張である。昭和七年十月一日、東京市は市域を拡張して旧十五区から三十五区となった。このことは東京市の範囲の拡張、大発展という点で重要な事件であった。それ故、東京市に於ては、当時「東京市域拡張史」という一千頁を越える大冊を上梓して、この拡張に関する各郡各町村の態度や会議や運動を、或は政府と府・市との交渉、町村と府・市との交渉などを実に詳細に剰す所なく伝えている。今日これを一読すれば、当時のいきさつは眼前にくっきりと浮んで来る程である。

更に、昭和十一年十月一日、北多摩郡の千歳、砧西村の市域編入に於ても、やはり前者と同じく「市域拡張史」の続篇ともいうべきものが編纂されて、その当時の事情を後世に伝えている。

それなのに、明治廿六年四月の三多摩編入の顛末については、まだまとまったものが出版されていない。このことはまことに残念なことで、三多摩地方の編入ということは、東京都の歴史の上から見ても、その行政上の範囲が一番広くなった大きな事件であるのに、何故当時「府域拡張史」とか「三多摩編入史」とかいうものが出なかったであろうか。もち論、東京府としても、その当時、府の属であった大城戸宗重によって「西南北三多摩境域変更通覧」の編集が行われ、東京府文献叢書中に含まれていて、当時の編入顛末の概要を知ることができるが、それすら出版されなかったのである。

こうして、この事件を手がける人もありながら、刊本として何も残されなかったということは、恐らくこの事件が余りに政治的な問題を含んでいて、三多摩自由党の地盤関係や、東京政界の種々な事情を反映して、府当事者がその当時の事情を明らかにし、出版することを、遠慮したのではないかと考えられる点がある。

昭和七年十月の市域拡張は、市域に編入される郡部に於て、編入されることそれ自体には何の異存もなく、この点では何人も文句がなかったから、種々のいきさつは各町村の統合分離などの問題が主で、拡張の事情は円滑に進んだといってよい。ところが明治廿六年四月の三多摩編入に際しては、編入すること自体に賛否の両論があって、編入反対の運動も猛烈をきわめ、一部の町村役場はこれを閉鎖して事務をとらなかった位であったから、その間の事情がたとえはっきりしていても、一寸筆にのせるということは、反対運動をした政党に対しても遠慮すべき点が少なくなかったであろう。

明治廿六年の三多摩編入が水道問題に端を発していることも、もう知らない人が多いことであろう。ここでこの問題に手をつけるに当って、できるだけ前にさかのぼって、三多摩地方を東京府域に編入するということが、東京府にとっても、市民にとっても、多摩川上流の取締りという点よりしてどうしても必要であり、永い間の希望であったという点を明らかにしたつもりである。

しかし、この三多摩編入は余りに政治的な動きがあって、東京側の資料は、いずれも編入案に賛成で、そういった点からこの事件を見ているため、比較的東京側の資料が残っている今日、なるべく反対者側の意見も公平にのせたつもりであるが、編入賛成者側の資料を多くのせるという結果になった。

なお、反対者側の意見が、多くは政治的な選挙区関係などにからんでいて、その反対の論旨は到底賛成者側の論旨に及ばないことは、この著書を一読されればよく了解されることと思う。この事件の顛末をのべるに当って、反対した政党の意見に言及しない訳には行かなかったので、内容のうちに、それらの編入反対の論説に対する批判をのせたことは、どうしても止むを得ないことであった。

おわりに、各新聞社が、貴重な当時の新聞をこころよく閲覧させて下さったことに深謝致します。

本書の編さん執筆は川崎房五郎が担当した。

昭和四十一年八月
都政史料館

ことわり

一、本書はさきに昭和二十七年東京都史紀要第十三「水道問題と明治二十六年三多摩編入始末」と題して謄写印刷にて刊行したものに補正を加えて印刷に付したものである。しかし、改訂に当ってなるべく当時の水道改良事業とむすびつけて進行させるため、かなり水道関係の記録を増補して、両者が併行したりからみあったりする面を極力前面に押し出すようにした。
一、三多摩編入については、その因を為した水道改良問題を詳細に述べるべきであったかも知れぬがそれは東京市史稿上水篇もあること故、その方面を更に深く考究しようとする方は、ぜひ市史稿の上水篇を参照していただきたい。
一、資料は序説及び第一章は東京府の公文書と東京府史行政篇や武蔵野歴史地理を参照し、第二章・三章及び九章は主として東京市史稿上水篇により、第四章より七章までは当時の公文書と東京府文献叢書の「西南北三多摩 境域変更通覧」を中心として、各新聞の記事、論説等を参照した。
一、篇中多くの政党人の名がでるが、いずれも敬称を省略した。

水道問題と三多摩編入 目次

序説 多摩郡の沿革(1)
一、多摩郡(1)
二、武家時代の三多摩(4)
三、武蔵野の開拓(5)
四、六郷用水と玉川上水(7)
六郷用水(8)、玉川上水(8)、同助水(10)、上水路と沿岸の保護(13)
五、明治以降の多摩郡(14)
附記 胸刺国問題について(15)

第一章 維新後の多摩郡編入問題(17)
一、廃藩置県と一部多摩地域の編入(17)
明治維新と東京府(17)、武蔵知県事支配(17)、東多摩地域の編入(19)
管轄変更願(21)、明治十一年多摩四郡成立(24)
二、多摩川通船問題(25)
江戸時代の通船問題(25)、明治維新後の通船問題(26)
水源水配差配(29)、東京八王子間運転馬車許可(32)
三、第一次東京府編入問題(33)
編入の必要(33)、沿岸諸村編入願(33)

第二章 玉川上水上流の汚水浸入問題(35)
一、水道改良の機運(35)
上水と木管(35)、上流汚水流人阻止及び木管改正意見(36)
ファン・ドールンの計画と府の設計(38)、東京府の応急対策(39)
二、上水敷地としての東京府移管(42)
上水敷地(42)、民有地・官有地組込(42)
三、第二次多摩二郡編入上申(43)
西北多摩二郡(43)

第三章 コレラ流行と水道改良事業(46)
一、明治十九年コレラ流行(46)
東京におけるコレラ(46)、東京府警視庁の対策(48)
二、コレラと水道衛生問題(51)
水道に汚物流入事件(51)、宮中よりの申入れ(52)、 水道に対する不安(54)
三、コレラ流行問題に端を発せる水道改良論(54)
津田仙の上水改良論(55)
四、東京市の改良水道事業の施行(59)
東京市の成立(59)、改良水道計画(60)、改良水道の趣旨(63)
改良水道を玉川上水と決定(69)
五、改良水道事業の障碍
計画の変更(69)
六、水源林保護の問題(70)
政府の保護対策(70)、三多摩地方の水源林保護(72)、水源林伐採問題(74)

第四章 三多摩地方編入問題(76)
一、三多摩地方編入案提出の概略(76)
議案提出の経過(76)
二、三多摩編入の上申(77)
西北多摩郡から三多摩へ(77)、府知事の三郡編入上申(78)
警視総監の三郡編入上申(81)、神奈川県知事の賛成(82)、山梨県の一部編入不採用(84)
三、境域変更法案の上提(85)
編入に関しての問合せ(85)、政府の議案提出(90)、東京府の理由説明書(91)

第五章 東京府及び神奈川県における運動(97)
一、自由党とその反対運動(97)
二、編入反対の意見(105)
三、諸新聞の賛成意見(114)
四、府会、市会、県会、町村における運動(128)
五、編入賛成の請願(135)
六、甲武鉄道開通の影響(142)
馬車鉄道設画(142)、鉄道敷設許可(142)、開通の影響(146)

第六章 衆議院における審議経過(147)
一、委員会での説明(147)
政府側の努力(147)
二、編入否決報告から可決まで(154)
委員会の審議(154)、工藤委員長の報告―反対意見の代表(154)
衆議院本会議に於ける可決(164)、一投渡木事件(166)
反対派の誤算(168)、法案通過のための猛運動(169)
三、境域変更の実施公布(173)
編入町村(173)

第七章 その後の状況(181)
一、編入後の反対運動(181)
西南多摩郡の反対(182)、編入後の反対運動(183)、府知事への暴行(183)
町村役場の再開(185)、一部の紛糾(186)、編入復旧案未提出(190)
二、三多摩編入後の状況(190)
水源涵養林の伐採及び其の保護(190)、明治三十四年水源林買取り(192)
水道の監督と警察権(194)

第八章 都制案と三多摩地方(197)
一、武蔵県、千代田県設置問題(197)
1 府制案(197)
2 東京都制案―武蔵県設置案(197)
3 東京市制案―千代田県設置案(201)
4 東京都制案―千代田県設置案(201)
5 東京都制案―千代田県設置案(202)
6 東京都制案―千代田県設置案(202)
7 東京都制案―千代田県設置案(202)
8 東京都制案―千代田県設置案(202)
9 東京市に関する法律案(202)
10 東京都制案―武蔵県設置案(203)
二、三多摩、神奈川県へ返還問題(203)
帝都制案(204)
三、三多摩を含む都制案(204)
四、多摩県設置案(205)

第九章 水道改良事業の完成(207)
一、東京市役所開庁(207)
水道工事着工式(207)、水道鉄管事件(208)
三浦知事の不信任案(210)、東京市役所開庁(211)
二、改良水道の完成(212)
改良水道一部給水開始(212)、全市への給水完了(213)
その後の水道(214)

むすび(217)

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