資料解説~ 皇居で神輿を担げるか?
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この資料は、明治16年(1883)4月19日に、日枝神社宮司園池実康(1857~1928)から、宮内卿徳大寺実則への出願届を受けて、府の庶務課社寺係の野澤俊元が、4月23日に起案した宮内卿宛て東京府進達案の回議書です。園池の願書は、日枝神社の山王祭で「仮皇居正門内」へ神輿を担ぎ入れたいという内容で、野澤は、この願書に対する府の添状案を作成し、宮内卿への進達の可否を伺っています。なお、本資料がまとめられている『回議録』とは、人民の願書伺書等で、上局の指揮を得て処理を完結した文書を編綴したものです。
この文書の欄外には、「要決」の印が見えますが、これは、知事、書記官(知事に次ぐ職)の裁決が必要とされた文書に押されます。そして、「4月28日判決済」の印、さらに、知事芳川顕正の花押、書記官の印があり、知事、書記官がこの文書を決裁したことが分かります。すなわち、園池の願書の宮内卿への上申が許可されたのです。
野澤が作成した添状案には三つの理由を挙げて、6月15日の山王祭に仮皇居内への神輿渡御について、「しかるべく詮議」してほしいと、許可を求めています。その理由とは、第一に「旧例」があること、第二に日枝神社が「東京府下第一の神社」であること、第三に山王祭が「官祭」であること、です。そして仮皇居内へお渡りがなされれば、日枝神社はさらに崇敬を集めることができると結んでいます。
それでは、なぜこれらの三つが理由に上げられたのでしょうか。その前に神輿渡御の希望の地である当時の皇居について確認しておきましょう。
江戸城は幕末に本丸、二の丸が焼失して再建されなかったため、皇居は旧西丸にありましたが、明治6年(1873)5月5日の火事により焼失してしまいました。そのため、明治21年(1888)10月に新しい皇居が完成するまで、旧紀伊藩邸の赤坂離宮を「仮皇居」にしました。園池宮司が「仮皇居正門内」と記したのは、現在の迎賓館東門に当たります(下図参照)。
さて、日枝神社は、太田道灌が江戸城を築城した時に城内に設けた小さな山王社の社を、徳川家康が江戸城の鎮守と崇めてから、「徳川歴朝の産神」、「江戸郷の鎮守」などと呼ばれて崇敬を集めていました。また明治15年(1882)1月には、東京府が管轄する府社から、国の管轄する官幣社に昇格しました。官幣社には、大、中、小の社格があり、日枝神社は官幣中社でした。なお、東京府へ願い出た園池実康は、公家出身で、日枝神社が官幣中社になった月に宮司に任官しました。
余談になりますが、日枝神社が官幣中社に昇格したことをうけてか、1月27日に宮司になったばかりの園池は、翌2月23日には山王祭の日を6月15日に定めるように政府に上申し、これが認められています。ただし、旧暦新暦を問わず、山王祭が6月15日に行われるのは古来から一貫しており、それをあえて政府に申請したのは、例祭日に、政府公認のお墨付きを得るためだったといえます。第二、第三の理由の根拠は、将軍家の庇護をうけ「江戸郷の鎮守」ともされる由緒を持ち、そして直近で官幣中社に昇格したことでした。さらに第一の「旧例」について確認しましょう。
江戸時代、山王祭では江戸城内に神輿渡御が行われていました。一説には、江戸城内で神幸祭が初めて行われたのは、二代将軍秀忠の治世の慶長20年(1615)6月15日ともいわれています。幕末をのぞき歴代の将軍たちは、城内に設けられた御覧所(おもに吹上)で神輿や山車のお練りを上覧していたのです。しかし明治に入ると、ルートが変わり神輿は入城しなくなりました。つまり、将軍の居城で神幸を行い、それを将軍が見物していた「旧例」があったのです。園池宮司の宮内卿宛願書には「思召をもって御遥拝あられ」たいと、天皇の上覧も具申されていました。
さて、本添状とともに宮内卿へ上申された日枝神社の願い出は叶ったのでしょうか。残念ながら仮皇居への神幸は認められませんでした。「詮議に及ばれ難」き旨が宮内省より指令され、宮内省では、詮議として取り合うことのない出願だったのです。不許可の理由は不明ですが、「府下第一の神社」であっても、前政権の「徳川歴朝の産神」という由緒が影響していたとも推察されます。
園池が願書に記したように、実現していれば、官幣社の威厳を世に広く示すのはもちろんのこと、山王祭に参加する産子氏子衆といった住民にとっても晴れがましいことで、それはそれは盛り上がるお祭りになったことでしょう。もちろん、現在の山王祭も大変盛大なお祭りですが。
お祭りを盛り上げることで、社格を厳かにしようとする神社の精力的な活動がみえる史料でした。
主要参考文献・資料
- 「明治十五年一月二十七日 神官新任 日枝神社宮司 従五位 園池実康」『神官進退住職進退社寺創建合併教院、神官住職病死 〈社寺掛〉明治十四年七月起』(請求番号:612.D6.11)
- 『公文録 明治十五年・第百八十一巻・明治十五年四月~六月 宮内省』公〇三三八九一〇〇―〇〇三〇〇
- 『大人名事典』第三巻 平凡社 1953年
- 『日枝神社史 全』日枝神社御鎮座五百年奉賛会 1979年
- 山中永之佑他監修『近代日本地方自治立法集成』Ⅰ〔明治前期編〕弘文堂 1991年
- 村井益男『江戸城』中公新書 1996年
- 東京都公文書館 都史紀要四十一『明治期東京府の文書管理』2013年
資料情報
- 東京府文書「日枝神社宮司園池実康より皇居御門内へ神輿舁入願指令」『回議録・社寺雑件・2冊〈社寺掛〉1月(ヨリ6月)』明治16年(請求番号:613.B6.04)
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