資料解説~ネームセイク・タウンズ協会から東京都への便り―東京都‐ニューヨーク姉妹都市提携締結65周年―
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今回とりあげた書簡は「エ410.01.02」という請求番号が付された簿冊に収められています。この簿冊には、当時の東京都で外事関係業務を所管していた広報渉外局外事部渉外課が作成した、東京都とニューヨークの都市提携にかかわる文書30件が綴じられています【画像1】。
都市提携締結の正式発表以前に作成されたほとんどの文書に朱書きで「至急」・「極秘」・「秘」と表示されており、起案から決裁までの迅速な処理や、折衝中の事案にかかわる文書の慎重な取扱いが求められていたようです【画像3】*4。
この簿冊に綴じられた文書群は、請求番号が同じなだけでなく「東京都-ニューヨーク市との都市提携について」といった類似の件名が付されているため、文書の識別にあたっては文書番号が必要となります。書簡は昭和35年(1960)2月1日に決裁・施行された「東京都とニューヨーク市との都市提携について」(文書番号:広外渉発第16号)という文書に参考資料として綴じられたもので、東京都とニューヨーク市が都市提携を締結した時代状況に視野をひらく重要な手がかりを含んでいます。
・書簡の宛先と差出人
書簡の冒頭には“Namesake Towns Association”(ネームセイク・タウンズ協会)という団体名と所在地が印字されています。その下には“October 19th 1959”(1959年10月19日)とタイプされ、左下に宛先が続いています。日本語訳で「東ユウタロウ」と表記したのは、差出人側で氏名の表記や発音の確認が不十分だったのか、“Ryotaro Azuma”とすべきところに“Yutaro Azuma”と記入されているためです【画像4】。
本文の下にある差出人も確認しておきましょう。青いインクで“Barbara Spencer”(バーバラ・スペンサー)という署名がなされていますが、その下には“Hon Mrs G. Spencer”とあります。“Hon”は直訳すると「名誉ある」といった意味の敬称“Honorable”の略語で、これは差出人が敢えて自分自身に向けた敬称ではなく、公的な地位を示す慣習的な表記にあたります。また、自筆署名の“Barbara Spencer”とはイニシャルの違う “Mrs G. Spencer”とタイプされているのも、バーバラ・スペンサーの社会的な身分にまつわる当時の表記で、家長にあたる“G. Spencer”という人物(フルネームは不明ですが)の夫人であることが推察されます。ややこみいった話になりましたが、書簡の差出人であるネームセイク・タウンズ協会会長のフルネームはバーバラ・スペンサー(Barbara Spencer)ということになります【画像5】。
・書簡の内容
では、ネームセイク・タウンズ協会のバーバラ・スペンサー会長は東龍太郎都知事にどのようなことを伝えているのでしょうか。端的にいえば、この書簡は「東京都とニューヨーク間の都市提携」(a project between Tokyo and New York)の実現に向けた交渉を促すものです。常套句のように思われるかもしれませんが、冒頭で「各個人の接触」(personal contacts)を通じて発展する「異なる諸国民間の理解」(understanding between the different peoples)と、これに依拠する「国際間の親善と理解」(international goodwill and understanding)について言及していることは、東京都とニューヨークの都市提携にこめられた理念と背景を知るための重要なポイントとなります。
このことを、ネームセイク・タウンズ協会という団体の性格等に照らして考えてみます。書簡を収受した東京都は、ネームセイク・タウンズ協会とのやりとりを仲介した外務省に、同会の性格、事業、実績等に関する照会を行ないました。これに対する在ニューヨーク総領事からの回答が「東京都-ニューヨーク市との都市提携について」(文書番号:広外渉収第448号/請求番号:エ410.01.02)という文書に添付されています【画像6】。
これによると、ネームセイク・タウンズ協会は米国と英国の諸都市間の提携を斡旋するため昭和20年(1945)頃に設立された非営利団体で、やがて世界各国の諸都市に提携斡旋を行なうようになったものと説明されています。また在ニューヨーク総領事は、同会の活動が国際連合および米国のThe Civic Committee of President Eisenhower’s People-to-People Program(アイゼンハワー大統領「市民と市民のプログラム」市民委員会)の公認を得ていること、また都市提携を斡旋する類縁団体と異なり「大統領府のCivic Committee〔引用者注:市民委員会〕やニューヨーク市当局と内部的に密接な関係を持っている」ことから、「東京都とニューヨーク市との間の提携を斡旋するについては最も適当かつ有力な団体と思料される」と回答しています。
ここで言及されている「市民と市民のプログラム」(People-to-People Program)とは、米国大統領のドワイト・D・アイゼンハワーが昭和31年(1956)11月11日に正式発表した事業で、市民や民間団体が主体であることを強調し、国際的な市民交流を通じた平和構築を目指したものです。このプロジェクトを実行するために設置された委員会のひとつが市民委員会(Civic Committee)であり、都市提携は同委員会の事業として位置づけられていました。これによって促進された米国の都市提携は昭和31年時点の40件から昭和42年(1967)の350件まで増加し、東京を含む日本の諸都市もそうした流れのなかに加わっていました*5。
ふたたび在ニューヨーク総領事の回答を参照すると、「Spencer夫人(Namesake Town Association会長)は上記Civic Committeeの委員」であることが明記されており、東京都とニューヨーク市の都市提携の仲介役としてネームセイク・タウンズ協会が動いていることも、アイゼンハワー大統領の提唱した「市民と市民のプログラム」に照らして理解されていることが分かります。書簡本文の中段以降にある「文化交流、経済、貿易その他の交流等の恒久的計画」という目標や、昭和35年にニューヨークで開かれる世界見本市(World Trade Fair)に日本が出品予定であることへの言及も、市民や民間団体の主体性を重視する「市民と市民のプログラム」の理念と無縁ではありません。都市提携がアイゼンハワー政権の重要な広報・文化活動の一環であったのと同じく、国際的な見本市も民間企業が主体となって国際交流に貢献する重要な場所として位置づけられていました*6。
こうした「市民と市民のプログラム」による都市提携運動の推進と広がりやネームセイク・タウンズ協会の存在については、東京都がニューヨーク市との都市提携4周年を記念して昭和39年(1964)に刊行した『東京・ニューヨーク都市提携4年の歩み』(請求番号:総務D157)【画像7】のなかでも説明されていることです。しかし、都市提携の実現に向かう機縁としての役割をネームセイク・タウンズ協会が果たすことになった文脈については、東京都の刊行物だけでなく書簡そのものや関連文書にあたらないかぎり理解することができません。
東京都は昭和33年(1958)3月18日付で外務省に「Sister Cities(姉妹都市関係)の締結について(照会)」という文書を広報渉外局長名義で送付しており、「People to People Diplomacy〔引用者注:市民と市民の外交〕による都市間の親善増進」への寄与等を目標に、「ともに世界的大都市として、多くの共通問題を有しているニューヨーク市と東京都が姉妹都市関係を結ぶこと」について打診しています*7。実際に昭和20年代から東京都は大都市行政についてニューヨーク市を研究対象とする調査資料を作成しており、東京都側にも都市提携を追求する背景は存在していたように思われます。そのうえで、東京都とニューヨーク市との間で都市提携締結にかかわる手続きや交流事業をめぐる具体的な折衝は、最後の段落で東京都側の意見を求めるネームセイク・タウンズ協会からの書簡があってようやく開始されたのでした。いたってシンプルかつフォーマルな内容や表現ながら、東京都とニューヨーク市の都市提携がどのような情勢のなかで急速に動き始めたのかを示唆する、重要な資料だといえるのではないでしょうか。
・おわりに
東京都とニューヨークの都市提携が宣言されたのは昭和35年(1960)2月29日のことですが、それは日本で60年安保闘争が激しく展開されていた時期でもありました。「市民と市民のプログラム」を主唱したアイゼンハワー大統領自身も同年6月に訪日を予定していましたが、反対運動の激化により中止されます。
このことを、ネームセイク・タウンズ協会という団体の性格等に照らして考えてみます。書簡を収受した東京都は、ネームセイク・タウンズ協会とのやりとりを仲介した外務省に、同会の性格、事業、実績等に関する照会を行ないました。これに対する在ニューヨーク総領事からの回答が「東京都-ニューヨーク市との都市提携について」(文書番号:広外渉収第448号/請求番号:エ410.01.02)という文書に添付されています【画像6】。
緊張を伴う情勢のなかで出発をみた東京都とニューヨーク市の都市提携ではありますが、具体的な事業としては東京都の職員や高校・大学生の派遣、両都市における小中学校の姉妹校提携など、様々な面での交流が進められていきました。当館所蔵の『都市提携ニュース』(請求番号:総務E154)は昭和37年(1962)から昭和52年(1977)まで刊行されたニューズレターで、東京都-ニューヨーク市間の交流事業の様子や参加者の体験記などを読むことができます【画像8】。今回の「所蔵資料を読む」では、ネームセイク・タウンズ協会からの書簡を冷戦という国際情勢に照らして読みましたが、都市提携にもとづいて生まれた様々な交流と経験の積み重ねがあってこそ、両都市の関係が現在まで続けられてきたことは言うまでもありません。
令和4年(2022)9月15日から18日に小池百合子東京都知事がニューヨーク市を訪問しエリック・アダムズ市長との会談を行なった際にも、長年にわたる友好関係や平成29年(2017)締結の相互刊行PRパートナーシップについての謝意を述べています*8。65周年を迎えた東京都とニューヨーク市の都市提携のさらなる発展を願いつつ、色々な姉妹友好都市の来歴を訪ねて資料を探索してみると面白いかもしれません。
注
*4 当時運用されていた東京都処務規定第三十三条に「回議文書には、事案の性質により『至急』、『秘』、『公報登載』、『官報登載』、『例規登載』等と朱書をもつて欄外上部に表示し、機密文書は、封筒に入れてその旨を表示しておかなければならない」と明記されています。『東京都令規集 追録別冊(五) 昭和三二年十月一日現在』昭和32年10月25日(請求番号:総務A375)
*5 国際交流基金日米センター(編集・発行)『姉妹都市交流ブックレット:あなたの町の交流をより元気にするために』2006年3月
*6 渡辺靖『アメリカン・センター:アメリカの国際文化戦略』岩波書店、2008年。とくに第2章「冷戦下の広報文化活動」。Osgood, Kenneth. 2006. Total Cold War: Eisenhower’s Secret Propaganda Battle at Home and Abroad. Kansas: University Press of Kansas. とくに第7章“Every Man an Ambassador”
*7 東京都公文書館では「【庁議】都市提携について」(請求番号:328.A8.11)という資料のなかで同文書の写しを閲覧できます。外務省外交史料館所蔵の『本邦諸外国間都市等縁組み関係 東京都・ニューヨーク市間の部 第1巻』(分類番号:I'.1.1.0.12-1)には東京都から送付された文書が綴じられており、そこには首都東京の都市提携について「都の意向を更に訊すべし」、「首都としての東京の都市提携は慎重に考慮を要す」、「提出すとしても都の要人が訪米する」といった書き込みがなされています。このときの動きについて、東京都側からそれ以降になされた働きかけは現時点で確認できていません。
*8 東京都「ニューヨーク出張の概要・成果」(https://www.metro.tokyo.lg.jp/governor/kosaihi/221105 2025年6月5日最終閲覧)
資料情報
- 東京都文書「東京都-ニューヨーク市との都市提携について」(広外渉発第16号)(請求番号:エ410.01.02)
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