資料解説~ 事件発生! ―東京府庁で起きた詐欺事件―
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今回取り上げた資料は、東京府庁が開庁したばかりの時期に記録された東京府文書『東京府御開書留』に綴られたものです。
東京府庁は、幸橋(さいわいばし)内(現千代田区内幸町一丁目付近)にあった元大和郡山藩の上屋敷を改修して慶応4年(1868)8月に開庁しました。正式な開庁は8月17日、全ての業務を開始したのは9月2日です。
初代府知事には、尊王攘夷派の公家で当時江戸府知事に任じられていた烏丸光徳(からすまる みつえ)が任命されました。
この文書は、犯罪取締を担当した捕亡方の報告書。事件の経緯が詳しく書かれています。
事件は府庁が業務を始めて2ヶ月ほどたった11月に起こりました。11月4日の昼ごろ、八官町(現中央区銀座八丁目)で時計商を営む小林伝次郎の店へ25,6歳ぐらいに見える小遣い風の男がやってきました。男は烏丸府知事の家来に急ぎの用件を命じられたとして、金属製の時計をすぐに持参するように言いましたが、見慣れない男なので、後ほど差し上げましょうと答えると、それでは間に合わないから、後から人物が来たらすぐに持参するよう命じて帰りました。
翌5日の昼頃、今度は年齢37,8歳ぐらいの人物が店を訪れました。男は背が高く中肉、ほっそりした顔つきで浅黒い顔色、鼻が高く、髪は当時流行の講武所銀杏(いちょう)に結い、浅黄色(水色)のぶっさき羽織に白縞の襠高袴(まちだかばかま)を着て、刀と脇差を帯び、麻裏草履を履いた武士風の人物でした。人相風体からしてなかなかオシャレな美男子です。
その人物は、東京府から来たといい、色々な時計を品定めした上、4点を選んで、持参するように申し付けました。
・銀皮根付時計、アンゲルコテン、おおよその代金25両程
・同 厚ガラス壱分、おおよその代金21両程
・同 中彫リ洋ガラス、同16両程
・同 厚ガラスアングル、同14両程
「銀皮根付時計」とありますから、銀側ケースの懐中時計でしょうか?種類についてはよくわかりませんが、ガラスの厚さや細工がそれぞれ違うようです。
一連のやりとりから、伝次郎の店ではすっかり相手を信用したのでしょう。前日やってきた小遣い風の男から「烏丸府知事の御家来から頼まれたと伺っておりますので、東京府庁の御台所小頭詰所へ伺いましょうか?」と尋ねたところ、武士風の男は、今日は通用門の突当り入口へ向かって来るよう言いつけて帰りました。
明治元年の府庁舎の絵図(次図)で確認すると、通用門突当り入口は赤い矢印の位置にあたると思われます。
間もなく伝次郎召使の徳蔵が指定の場所へ出向き、取次を申し入れると、先ほどの人物が左の方から刀を下げて出てきました。そして持参した時計を風呂敷包のまま受け取ると、程なく応対するので、脱ぎ置いた草履に気を付けるよう言い残し、右手廊下の方へ刀を下げて入っていきました。
徳蔵はそのまま二時間ほど待ったのですが、何の沙汰もないので一旦主人の店へ立ち戻り、再び午後3時頃烏丸府知事の御台所(買い物等を司る組織)へ罷り出で、小頭に伺ったところ、御台所からの注文ではなく、だまし取られたことが判明しました。
だまされた伝次郎とは、江戸東京で一番の時計商小林伝次郎のこと。江戸城開城後、新政府が鎮台府を置いた際には、呉服商越後屋三井家(後の三越百貨店の祖)などと共に御用達に任命されています。府庁のあった幸橋から八官町までは、今の内幸町から銀座八丁目の距離ですから目と鼻の先にある有名店です。その店をターゲットに、あろうことか開庁間もない東京府庁を舞台にして詐欺事件が起こされたのです。これによって伝次郎は合計76両もの損害を被ることになりました。
捕亡方では、盗まれた時計を探すため御触れ(品触)を出し、風聞を調査することにしました。
史料冒頭の朱色で書かれている部分は、この報告書を受けての東京府の措置です。
これによると、当時聴訟・断獄担当の判事であった北嶋時之助は、盗まれた時計の代金に間違いがなければ、東京府がそれを支払うように命じています。現代人にとっては、意外な判断に感じられます。また当然ながら、門の出入に際して充分なチェックが行われているかの確認も指示されました。
北嶋が判断を下した経緯はこの文書では判明しませんが、業務を開始したばかりの東京府にとって、府知事の名を借りた詐欺事件は、烏丸府知事や東京府の正当性を疑わせ兼ねない由々しき事態と受け取られたに違いありません。
実際、東京府の前身であった市政裁判所では、親や主人に対して孝行忠義を尽くした江戸東京の町人達を褒賞するなど注、今まで永く徳川氏の支配下で暮らしてきた人々を慰撫する政策をとっていました。また、事件が起きた時期は、上野に彰義隊が立てこもり、新政府と戦闘が行われてからまだ半年しか経っていませんでした。こうした背景から導かれた結論なのではないかと考えられます。
注「市政裁判所時代の判事」東京都公文書館ホームページ(URLhttps://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu/archives/0402lobby05furoku.pdf)
ちなみにこの後も伝次郎の店は営業を続けています。銀座煉瓦街に店を構え、東京時計商工業組合の頭取を務め、明治27年(1894)新たに府庁舎が煉瓦造で建てられた際には、庁舎入口正面に取り付ける時計を納入するなど、東京を代表する時計商として名を馳せました。
主要参考文献
- 平野光雄『明治前期東京時計産業の功労者たち』日本時計俱楽部内「明治前期東京時計産業の功労者たち」刊行会、1957
- 平成20年度 第3回ロビー展 「東京府の開庁 ~町奉行所・市政裁判所・東京府~」(東京都公文書館ホームページ URL:https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu/archives/0402lobby05.htm)
資料情報
- 『東京府御開書留』(請求番号:605.A4.01)
- 東京府文書「八官町時計職伝次郎召仕徳蔵烏丸殿御家来と称する者により窃盗の件捕亡下目付及捕亡方より申上 11月6日」明治元年(1868)/東京府御開書留〔東京府開設書〕〈常務方持〉明治元辰年8月より (請求番号 605.A4.01)
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