所蔵資料(アーカイブズ)を読む 第8回 井上鉄道局長の上野駅用地確保~「ナンデモカデモトラセテヲクレ」

『回議録・上野山下町停車場ニ係ル・第1号〈地理課〉明治13~17年』表紙画像明治13~17(1880~1884)年に上野駅建設に関係して東京府で作成された起案・回議の書類やそれに添付された書類は、後に東京府地理課において簿冊として編綴されました。簿冊名は「明治十三十四十五十六十七年 上野山下町停車場ニ係ル回議録」です。現在は東京府文書として当館が所蔵しています。写真はその簿冊の表紙です。

日本鉄道会社は、明治17年(1884)6月25日、上野・高崎間での鉄道輸送を開業し、ターミナルの上野駅(資料中では「上野山下町壱番地鉄道停車場」などと呼ばれる。現在のJR東日本の上野駅)で盛大な開業式を行いました(上野・熊谷間での仮開業は前年7月)注1

今回紹介する資料は、この開業式の2年前、上野駅の建設用地確保をめぐって起きた問題に関係して東京府が作成した書類です。

東京から北上する鉄道の建設は、当初、国営事業として計画されていました。しかし、政府の財政難からこれは実現しませんでした。代わって、華族の金禄公債注2を資本として日本初の民営鉄道会社である日本鉄道会社が明治14年(1881)12月に設立されました。同社が最初に着手したのが上野・高崎間の路線でした。ただし、同社には鉄道の建設や運行に必要な技術力や人材はありませんでした。鉄道事業の実務は政府に委託されました。実質的には、財政難の政府が民間資本を利用しながら国策としての鉄道建設を進めたとも言えます注3

さて、上野・高崎間の鉄道のターミナルとなる上野駅の建設にあたっては、工部省鉄道局が建設用地の確保に動きました。しかし、建設予定地に居住する人々や、前々から同地での建設が予定されていた下谷区の施設をどうするのかといった問題が発生しました。

今回紹介する書類が作成された当時、鉄道局の局長であった井上勝は群馬県の伊香保温泉に滞在中で、東京府と井上局長との問答では当時の最先端通信手段である「電信」(=電報)が利用されています。明治15(1882)年8月、井上から届いた電報の内容にもとづいて、東京府は建設予定地がある下谷区の区長へ親展の達を出します。その達を出すにあたっての起案文書と起案根拠となった井上からの電報を紹介します。

なお、東京府における起案・回議による決裁システムについて詳しくは、この「所蔵資料(アーカイブス)を読む」の第7回「より良い下水道を目指して—米元晋一の欧米派遣」の「資料解説」の冒頭部分を参考にしてください。そこでは明治末期の東京市における起案・回議について説明していますが、今回紹介する書類に見られる明治前期の東京府の起案・回議の仕組みも基本的にそれと同じです。

  1. 『上野駅100年史』(国鉄上野駅、1983)
  2. 明治6年(1873)の秩禄奉還、明治9年(1876)の秩禄処分にあたって、華族や士族の家禄・賞典禄の代わりとして政府が発行した公債。
  3. 老川慶喜「鉄道」(『日本史小百科 近代』東京堂出版、1996)


目次

  1. 資料
    東京府文書「上野駅の用地確保問題に関する下谷区長宛の達、および鉄道局長からの電報
    (請求番号:614.C9.08)(公開件名:「下谷区上野山下町東台学校建設地之儀に付該区長へ回答之件」綴込番号18)  資料情報へのリンク
  2. 資料の解読/読み下し例
  3. 資料解説

印刷してご利用いただくために、PDF形式のファイルをご用意しました。

【資料】

東京府文書
「上野駅の用地確保問題に関する下谷区長宛の達、および鉄道局長からの電報」
(請求番号:614.C9.08)
(公開件名:「下谷区上野山下町東台学校建設地之儀に付該区長へ回答之件」綴込番号18)

「下谷区上野山下町東台学校建設地之儀に付該区長へ回答之件」1画像 「下谷区上野山下町東台学校建設地之儀に付該区長へ回答之件」2画像 「下谷区上野山下町東台学校建設地之儀に付該区長へ回答之件」3画像

ページの先頭へ戻る

東京都公文書館 Tokyo Metropolitan Archives
〒185-0024 東京都国分寺市泉町2-2-21
Copyright© Tokyo Metropolitan Archives. All rights reserved.