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江戸時代、街道沿いの宿場で「飯盛女(めしもりおんな)」と呼ばれる女性たちが働いていたのをご存じでしょうか。彼女たちの仕事は本来であれば文字通り旅籠(はたご)で「飯を盛る」こと、すなわち給仕や雑用です。しかし実際には、その多くが「売春」をおこなっていたことが知られています。
今回は、飯盛女たちが明治になって親元へ戻されることになった際、飯盛女のひとりであったよねという娘が、その父・善蔵に引き取られるまでの顛末(てんまつ)をご紹介します。採録されているのは『娼妓解放』という明治5年(1872)の東京府文書です。
それでは、早速資料を読んでいきましょう。
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【資料】
東京府文書「下谷通新町高橋善蔵より娘よね儀新治県信太郡中村宿旅籠屋渡世飯田六右衛門抱飯売(飯盛)女に差出候処今般御布告之趣も有之候に付本人引取度旨願出に付東京府知事より新治県知事へ照会に対し同よね及同所飯売(飯盛)女せいの件回答」明治5年(1872)『娼妓解放〈(常務掛)〉』請求番号:604.A2.12