史料の解読/読み下し/解釈―将軍への披露 あれこれ
(出典:『披露口』請求番号:CH-145 )
【史料】
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解読文
○万石以上披露口 一 月次四品以上名披露下司不申候 乍去陸奥守摂津守紀伊守者下司 附申候百官名も下司不申候造酒正 市正者其侭申候 但無官縫殿介内蔵介抔も介を 申候 一 御暇之節者誰人ニ而も下司不申候 苗字名計 一 参勤其外御礼之面々者苗字 名下司ともニ申候 一 節句ニ罷出候御礼衆披露苗字 名下司ともニ申候 一 紀伊守 一 摂津守 一 弾正大弼 一 弾正少弼 一 中務大輔 一 民部大輔 一 宮内大輔 一 式部大輔 一 兵部大輔 一 大蔵大輔 一 中務少輔 一 民部少輔 一 宮内少輔 一 式部少輔 一 兵部少輔 一 大蔵少輔 右之通惣而セウ与計り申之セウ ユウ与ハ不申候尤大輔ハタユウ与申候 趣先格留類ニ記シ有之候所より何故ニ セウト計り唱候哉与段々取調候処 一体少輔ハセフフニ而フノヲンハ 中ニこもる故ニセフト唱候已ニ京師 ニ而者少輔ト唱候大輔ヲ通俗イヲフニ 加ヱ大輔ト云其ノ大輔ニ習而少輔 ト申来候間為念右之趣此処ニ 記置候事 一 三宅 一 松浦 一 山内 一 増山 一 安部 一 米倉 一 米津 一 朽木 阿ニ 一 建部 一 嶋津 前田 右ハマヱダニ可有之処兎角 マイダト唱候人々有之候処 より同役衆之内不後生候儀 有之候付前田大和守江相尋 候之処マヱダ之旨ニ付為念 此処江掛紙致置候事
読み下し文
○万石以上披露口 一 月次四品以上名披露、下司申さず候。 去り乍ら、陸奥守・摂津守・紀伊守は下司 附け申し候、百官名も下司申さず候。造酒正・ 市正はそのまま申し候。 但、無官縫殿介・内蔵介抔も介を 申し候。 一 御暇の節は、誰人にても下司申さず候。 苗字・名ばかり。 一 参勤其外御礼之面々は、苗字・ 名・下司ともニ申し候。 一 節句ニ罷出候御礼衆披露、苗字・ 名・下司ともニ申し候。 一 紀伊守 一 摂津守 一 弾正大弼 一 弾正少弼 一 中務大輔 一 民部大輔 一 宮内大輔 一 式部大輔 一 兵部大輔 一 大蔵大輔 一 中務少輔 一 民部少輔 一 宮内少輔 一 式部少輔 一 兵部少輔 一 大蔵少輔 右の通り、惣て「セウ」と計りこれを申し、 「セウユウ」とハ申さず候。尤、大輔ハ 「タユウ」と申し候趣、先格留類ニ記シ これ有り候所より、何故ニ「セウ」ト 計り唱候哉と、段々取り調べ候処、 一体少輔ハ「セフフ」ニて、 「フ」ノヲン(音)ハ 中ニこもる(籠もる) 故ニ、「セフ」ト唱候、已ニ京師 ニては少輔ト唱え候、 大輔ヲ通俗「イ」ヲ「フ」ニ 加ヱ大輔ト云、其ノ大輔ニ習て、少輔 ト申し来り候間、念のため右の趣此処ニ 記し置き候事。 一 三宅 一 松浦 一 山内 一 増山 一 安部 一 米倉 一 米津 一 朽木 阿ニ 一 建部 一 嶋津 前田 右ハ「マヱダ」ニこれ有るべき処、兎角 「マイダ」ト唱え候人々これ有り候処 より、同役衆(奏者番)之内不後生候儀 これ有り候に付、前田大和守え相尋ね 候の処、「マヱダ」の旨ニ付、念のため この処え掛紙致し置き候事。
語句説明
- 月次(つきなみ)=月次御礼のこと。大名・諸士が江戸城に登城し将軍に謁見する日のうち、毎月朔日・十五日・二十八日の定例日のこと。
- 四品(しほん)=武家に与えられた官位のひとつ。大臣となる将軍や、大納言・中納言となる徳川一門・金沢藩前田家を除くと、大名の官職は、中将→少将→侍従→四品→諸大夫(従五位下)で、侍従・四品となる大名も一握りに過ぎず、大部分は諸大夫どまりであった。江戸期の武家官位は公家のそれとは別系統となり、将軍が任命したうえで朝廷へ手続きがとられ、勅許を得て叙任された。官位は位階とほぼ対応しており、四品は従四位下、諸大夫は従五位下を指した。
- 陸奥守等=江戸時代の武士は、たとえば丹羽若狭守高庸のように氏・名の間に「国名+守」という名乗りを有していた。これは律令官制で諸国の長官が授けられた受領名に淵源するが、江戸期のそれは一般に支配領域との関係はなく、単なる名乗りであった。たとえば酒井忠敬は安永7年に日光奉行に就任したのを機に諸大夫に任じられたが、あわせて小平次という通称を因幡守という官名に改めている。幕府より諸大夫を仰せ付けられると希望の名乗りを幕府に提出、幕府は同姓同名とならないかなどを審査の上名乗りを決定し、次いで朝廷への手続きがとられ、形式的に勅許を得て確定された。
- 百官名(ひゃっかんな)=「国名+守」ではなく、中務・式部・民部・掃部などの官名をとってつけた通称のこと。
- 下司=武家の名乗りに関わって、たとえば越前守の「守」、式部大夫の「大夫」に当たる部分を指す。その場合、「越前」、「式部」のみを「名」と称している。
記事ID:003-001-20240718-007650