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第7回 より良い下水道を目指して—米元晋一の欧米派遣

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 今回は、明治44年(1911)7月、東京市がとある吏員(職員)の海外派遣を命令する際に作成した文書をご紹介します。

 この頃、東京市が擁した吏員数は約1200人を数えました*1。当時この膨大な吏員の任免・異動・増俸・出張など、いわゆる人事に関する事務を担当したのが、内記課というセクションです。当館には、この内記課が作成した、吏員の人事に関する文書が残されています。

 そのなかには、東京市の歴史上、重要な足跡を残した人物の記録も含まれています。今回はそうした記録の内から、東京市の下水道事業において重要な役割を果たした米元晋一(よねもと しんいち)に関する文書を取り上げます。

 米元は明治11年(1878)山口県生まれ。明治36年(1903)に東京帝国大学土木工学科を卒業後東京市に入り、44年に再建された日本橋の設計・施工に主任技師として携わったことで有名です。43年からは改良下水道施設準備委員会(東京市が同年5月に設立)幹事を兼務、44年4月には下水道改良事務所の専任となり、同年7月には欧米諸国の下水処理施設を視察するため、欧米派遣を命じられました。

 では早速、欧米派遣が決定した際の文書を見ていきましょう。

 *1 明治43年12月現在(『明治四十三年 東京府統計書』第1巻 明治45年、125頁)

『第1種 秘書*進退・命令・医員・冊ノ7』冒頭目次 画像
『第1種 秘書*進退・命令・医員・冊ノ7』冒頭目次

目次

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【資料】

「下水道施設調査並実況視察として欧米各国に出張を命す 下水改良事務所技師 米元晋一」

記事ID:003-001-20240718-002147