江戸東京の町名「箪笥町」~牛込神楽坂駅あたり

大江戸線牛込神楽坂駅にある区民センターの名称に「箪笥(たんす)」とあり、町の名前であるらしい。一体、どういう由来のものであるか知りたい。

「箪笥」と聞くと、引き出しのある「タンス」を思い浮かべますが、この、箪笥町の「箪笥」は、"家具"ではなく、"武器"に関係するものです。

江戸時代、箪笥町の辺りには、幕府の武器をつかさどる具足奉行・弓矢鑓奉行組同心の拝領屋敷がありました。

幕府の武器を総称して、「箪笥」と呼んだことから、正徳3年(1713)年、町奉行支配となった際、町が起立し、牛込御箪笥町となりました。

その後、冠称の「牛込」がとれ、現在の箪笥町という名前に至ったのです。

ところで、お問い合わせの箪笥町・牛込神楽坂駅付近を歩いてみると、箪笥町のほかにも、何となく風情のある、いわくありげな町名が目を引きます。

そこで、箪笥町周辺の町名について、江戸を映したものを、旧牛込区の範囲で、いくつかみていきたいと思います。


箪笥町が所属していた旧牛込区は、明治11(1878)年、郡区町村編制法によって成立した15区のうちの1区で(東京の区については、「大東京35区物語」をご覧下さい)、「牛込」という地名は、「牛」が「込」(多く集まる)ということを意味し、古い時代に牛の牧場があり、牛が多くいたことにちなんでいるとされています。

江戸時代には、この区域のほとんどは、武家地によって占められており、町名にも武家地であったことに由来するものがみうけられます。

納戸町、払方町、細工町、これらは、箪笥町と同様に、居住していた武士(同心)の役職名に由来して命名されたものです。

納戸(なんど)役は、将軍のてもとにある金銀・衣服・調度の出納や大名旗下の献上品・将軍の下賜品を取り扱っていたもので、その内の下賜品を取り扱ったのが、払方(はらいかた)です。御細工は江戸城内建物・道具の修理・製作にあたっていました。

また、二十騎町は、先手与力の屋敷地であったことに由来しています。1組10人で構成される先手与力が、2組20人居住していたことから、二十騎町と俗称され、現在の二十騎町となりました。


区内のほとんどを武家地が占めていたとはいえ、寺社地や町屋等も、もちろん存在していました。

津久戸町・若宮町・市谷長延寺町・市谷薬王寺町は、それぞれ、筑土八幡・若宮八幡・長延寺・薬王寺の門前町であったことに由来し、市谷左内町は、江戸時代・元和年間に、名主の島田左内によって町家が開かれたことに由来して名付けられました。

さらに、江戸時代初期に、山伏・修験者が多く居住し、俗に牛込山伏町とよばれていた町が、現在、南山伏町・北山伏町・市谷山伏町となっています。


このように町の名前をみていくと、武家地、寺社地、町屋…、江戸時代の町々の様子が浮かんでくるような気もします。

ここまで、江戸に由来し、現在もほぼ形を変えないで受け継がれている町名を話題にしてきたのですが、牛込区には、これまでに挙げたほかにも、揚場町・白銀町・横寺町・袋町・岩戸町など、江戸時代から受け継がれている町名が、比較的多くみられます。

しかし、現在そういった町名は意外に少なくなっています。

江戸の地理的範囲を朱引地の範囲(現在の千代田区・中央区・港区・新宿区・文京区・台東区・墨田区・江東区)とすると、嘉永6(1853)年にあった1637町の内、平成10(1998)年までに、江戸から忠実に引き継がれている町名は、全部で55町にとどまるとされています。(江戸の範囲、町数については、「江戸の範囲」へ)

お問い合わせのあった「箪笥町」も、かつては江戸各地に存在した町名でした。同じ新宿区の中にも、昭和18年までは別の箪笥町があり(現在は、北加賀町・新堀江町と併し、三栄町となっています)、また、港区などの他区域にも存在していました。

このように、江戸(またはそれ以前)の人々の生活や歴史をしのばせる町名ゆえに、それが、変更され失われていくことを、憂える声もあるのです。

参考文献
  • 『江戸から東京へ』 町名の移り遷り (福澤昭 1999年)
  • 『新宿区町名誌』 -地名の由来と変遷- (新宿区教育委員会 1976年)

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