平成20年度 第3回ロビー展 「東京府の開庁 ~町奉行所・市政裁判所・東京府~」

  • 展示期間:平成20年10月28日(火)~12月26日(金) ★終了しました
  • 場所:東京都公文書館 1階ロビー 展示コーナー

*東京文化財ウィーク2008(東京都教育委員会主催)参加企画事業*

最初の東京府庁舎東京府庁舎写真(建築学会図書館蔵)

東京都は、昭和18年(1943)7月に東京府と東京市を併せて発足しました。そのため、東京都公文書館には、3万冊以上の東京府・市の公文書が引き継がれています。
 これらの公文書群は、近代における首都東京の形成過程や基本政策を知ることのできる重要資料として、平成16年3月に東京都の有形文化財に一括指定されました。
 本展示ではそれらの中から、東京府庁の開設に関する資料を選び、明治初年の「役所」の様子をご紹介します。

1 町奉行所の位置

御府内沿革図書・北町奉行所周辺御府内沿革図書・北町奉行所周辺

江戸の市政を担当した町奉行所が、奉行の役宅として公的に置かれたのは寛永8年(1631)からです。
 奉行所は「御番所」と呼ばれ、18世紀初めに一時中番所が置かれたほかは、北御番所と南御番所のふたつが幕末まで続きました。
 位置は何度か移転していますが、19世紀以後、北御番所は呉服橋門内(現千代田区大手町1丁目7番地、JR東京駅構内日本橋口付近)、南御番所は数寄屋橋門内(現千代田区有楽町2丁目8番地、JR有楽町駅銀座口前付近)にありました。

  • 切絵図 御江戸大名小路絵図 / 請求番号654-2-3-2(複製1)
  • 御府内往還其外沿革図書 一 / 請求番号654-9-1.1
    東京府が江戸幕府普請方から引き継いだ公文書。普請方は普請奉行の配下で上水や道路の整備を担当した。本史料は、文化4年老中牧野備前守忠精の命により、江戸御府内の道路・橋梁・河渠・空き地・馬場等の沿革を調査・編纂したもの。幕末期の町奉行所周辺を描いた部分を展示しました。

2 市政裁判所の発足

晩年の土方久元晩年の土方久元 岩井半四郎錦絵錦絵(妾しづか 岩井紫若)

慶応4年(1868)5月15日、彰義隊を上野で破った新政府は、それまで江戸の市政を町奉行に委任していた体制を改め、同月19日、町奉行所の廃止と建物・書類等の引渡しを命じます。名称も市政裁判所と変更されました。
 町奉行所が新政府に書類等を引き渡したのは5月22日、この日南町奉行所に判事新田三郎、土方大一郎(久元)らが訪れ、与力・同心等へ従来どおり勤務するよう申し渡しました。
 翌日から北町奉行所は北市政裁判所、南町奉行所は南市政裁判所と改称されましたが、建物・人員はほぼそのまま引き継がれました。

  • 鎮台府一件 / 請求番号605A5-6-9
    町奉行所が市政裁判所となり、さらに東京府が開設されるまでの諸文書を綴ったもの。
    わずか三ヶ月間の記録ですが、幕府崩壊の時にあたり、一日たりとも中断することなく着実に事務を引き継ぎ、新政府の支配下に入った後は旧弊改革に取り組んだ奉行所の与力同心たちの動きをつぶさに知ることができる貴重な史料です。
  • 町奉行所改称の令達 / 諸事留 / 請求番号605A5-1
    慶応4年5月22日、江戸鎮台設置により、寺社・町・勘定奉行をそれぞれ寺社・市政・民政裁判所と改称することを達したもの。この翌日町奉行所は新政府に引き渡され、市政裁判所が発足しました。
  • 市政日誌 / 請求番号634D4-4/5
    市政裁判所が江戸の市民に対して政令を布告するため、木版印刷で発行させたもの。
    展示箇所は、南市政裁判所が、新政府の恩威を示す施策として、慶応4年6月に忠僕孝子の表彰を行った記事。
    このとき歌舞伎役者岩井紫若(=八代目岩井半四郎)は祖父の負った多額の借財を返済し、父母等に孝養を尽くしたとして表彰され、銭三十貫文を与えられました。判事であった土方久元の回想でもとりわけ思い出深い事柄としてとりあげられています。
  • 錦絵(妾しづか 岩井紫若) / パネル(東京都立中央図書館所蔵)
    歌舞伎役者八代目岩井半四郎(紫若)を描いた慶応3年(1867)の錦絵。幕末から明治にかけて、女形の名優として人気を博しました。
    市政裁判所の判事であった土方久元は、振袖を着て、髪を楽屋銀杏に結って白洲に出頭した半四郎の美しい姿に「心を動かした」と後年語っています。

3 東京府開庁

初代府知事烏丸光徳肖像初代府知事烏丸光徳肖像 東京府開設書表紙東京府開設書 東京府印東京府印

慶応4年(1868)7月17日、江戸を「東京」と称する詔書が出されました。それとともに市政裁判所が廃止され、東京府が置かれることになります。
 南北市政裁判所は合併し、幸橋内にあった元大和郡山藩柳澤家の上屋敷が府庁にあてられました。改装工事のため、府庁の事務は南裁判所で開始されました。正式な開庁は8月17日、全ての業務を南裁判所から府庁へ移して執務を開始したのは9月2日です。
 初代府知事には、尊王攘夷派の公家で当時江戸府知事に任じられていた烏丸光徳が任命されました。

  • 幸橋内東京府庁総地絵図/パネル(東京都立中央図書館所蔵)
    府庁開設四ヶ月後の建物等図面。表門を入ると正面が玄関(式台)、門の左手には「仮牢」が設けられ、牢前の「公事人入口」から南へ回りこんで「白洲」に続きます。敷地の北側には長屋が並び、東京府の役人が住みました。明治の女流作家として著名な樋口一葉は、父が東京府に勤めており、明治5年(1872)府庁敷地内の長屋で生まれました。
  • 東京府日誌 / 請求番号634D4-12
    8月17日の東京府開庁を布告した記事が掲載されています。
    前月の7月17日、江戸を東京と称する詔書が出され、それを受けて同月22日、南北市政裁判所を合併して東京府を設置することとなりました。しかし府庁に充てられた元大和郡山藩邸の工事のため、全般的な業務開始は9月2日となっています。
    「東京府日誌」も「市政日誌」と同様、政府の法令や施策等を周知するために木版で刊行頒布されました。
  • 東京府開設書 / 請求番号605A4-1
    東京府開設時の様々な事務を記載した公文書。
    開庁前日の烏丸府知事の府庁への引き移りや、執務のための調度の準備、市政裁判所からの書類運搬など、当時の府庁内部の様子が伺える貴重な資料です。
  • 東京府印 / 五官府県印影 / 請求番号605A4-13
    本史料には東京府印の他にも軍務官、鎮将府、東京刑法官、監察司、捕亡司、奈良府、長崎府、箱舘府など、明治初期に短期間しか存在しなかった行政組織の印影等が収められています。
  • 切絵図 外桜田永田町絵図 / 請求番号654-2-3-2(複製6)
  • 東京府庁舎写真/パネル(建築学会図書館所蔵)
  • 初代府知事烏丸光徳肖像画/パネル
    ・天保3年(1832)7月生―明治6年(1873)8月没
    ・慶応4年(1868)8月~明治元年(1868)11月在任
    烏丸光徳は尊王攘夷派の公家として幕末に活躍。慶応4年5月、有栖川大総督宮、三条左大臣附属として江戸に下向し、5月19日江戸府知事となっています。東京府知事退任後は参議、宮内大輔をつとめました。

4 大名屋敷での執務

燭台購入指示書燭台購入指示書

当時の府庁は、冠木門を構え、裁判を行う白洲や、罪人を仮収容する牢を備え、府知事の奥向き住居や役人が住まう長屋を配した町奉行所と同様の構成をとっていました。
 大名屋敷は、大きな木造建築を障子や杉戸で仕切っています。そのため、内部はかなり暗く、行政事務を行うには不便な空間でした。
 また老朽化も進み、明治27年(1894)にレンガ造り庁舎を鍛冶橋内に新築するまで、府庁の営繕掛は屋根の雨漏り修繕や明かり採りの設置、ガラス障子への入れ替え等に追われました。

  • 北御番所絵図面 / パネル 請求番号654-10上
  • 燭台購入指示書 / 東京府開設書 / 請求番号605A4-1
  • 訴訟掛調度品書上 / 諸事伺書綴込 / 請求番号605D8-11
    訴訟掛が同掛の調度品を書上げたリスト。当時の室内の様子がうかがえます。硯箱、机、本箱、刀懸、小箪笥、御用箱、状箱、安火(行火)、算盤、燭台、木手燭がリストアップされています。
  • 樋口則義履歴 / 転免履歴 / 請求番号601A1-10
    明治9年(1876)、樋口一葉の父則義が東京府を退職した時の公文書。則義は町奉行所の同心でした。奉行所が市政裁判所となるにあたり、与力同心等は「都而(すべて)前々之通事務取扱候様」申し渡され、ほとんどの人員が引き続き東京府に勤めることになりました。
  • 府庁土木課修繕仕様書 / 稟議録 土木課 / 請求番号612C4-8
    明治14年度(1881)の庁舎修繕仕様書。最も多い項目は、全部で81枚に及ぶガラス障子の設置で、従来の紙障子や襖を変更するほか、建物の外壁を一部壊して切り抜き、新たにガラス窓を入れる仕様も見られ、旧来の大名屋敷の採光の悪さがうかがえます。

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