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●昭和9年~昭和20年代 大島公園は、東京湾汽船株式会社(現 東海汽船株式会社)が昭和8年に、大島観光客誘致事業として伊豆大島に自然動物園計画を立て、泉津村(現 大島町泉津)に協力を求め昭和9年に泉津村から東京湾汽船株式会社に土地215,000坪(710,725㎡)の10年間の無償貸付を行った。 昭和10年には、1月5日に聖者橋の渡り初め同年6月15日に自然動物公園が落成し同日に開園式を行った。これが、今の大島公園の前身である。 同年の10月11日に泉津村から東京市(現 東京都)に緑地計画の陳情、翌昭和11年8月12日に泉津村長から東京市長に大島公園計画案を具申。 年が明けて昭和12年に東京湾汽船株式会社から東京市に大島公園施設及び営造物の寄付及び、地上権設定の契約を締結した。 翌13年に東京市は、泉津村から公園用地として土地の寄付及び地上権の設定を契約し、黒潮小屋(昭和13年3月23日棟上式)の整備を開始(昭和14年4月に供用開始)。5月1日東京市立大島公園が開園(開園面積122ha)した。 昭和17年に日産健民会から東京市長に大島公園の一部に植物園施設設置の件について申請があった。しかし、昭和19年に太平洋戦争(第2次世界大戦)の戦局悪化に伴い、大島公園の事業計画の縮小。陸軍八八八八部隊が駐屯。 昭和20年に敗戦を迎え、駐屯部隊は解散し大島公園の復旧が始まった。当時の「大島公園計画案」によると、大島公園は「海嶼自然公園」として位置づけられ、泉津公園村(現 大島公園地区)と泉津南公園村(ゴゼ川地区)に地区割りを行い、前者は教育施設を随所に配置する、後者は体験学習的な場を整備するものとして、それぞれ第一期事業、第二期事業として各種施設が計画されていた。 椿園については、昭和20年代後半から大島公園椿園として都道の西側約6haの部分について整備を始めている。 その他の出来事として、昭和26年6月に笠松にある「海浜植物群落」とサクラ株の山側にある「椎の木山の椎の木群叢」が都の天然記念物指定。昭和29年に伊豆七島国定公園に大島が指定されている。 |
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●昭和30年代~昭和50年代 昭和29年に伊豆七島国定公園に大島が指定されたことにより、国定公園の「大島集団施設地区」に位置づけされる。 昭和36年にラクダ舎が完成と小獣舎が完成。ラクダ3頭を導入。 昭和39年には、大島が富士箱根伊豆国立公園に編入されたため国立公園の「集団施設地区」となる。 昭和40年公園事務所の改築を行う。バーバーリーシープ等の動物が来園している。 昭和41年には、泉津財産区の土地について「地上権設定更改契約」を結んでいる。また、黒潮小屋の風呂場増築を行っている。 昭和47年に管理事務所及び飼料調理場が新築される。 昭和48年から昭和49年まで、メメズ取り付け道路の整備を行う。 昭和50年には、「大島公園集団施設地区基本計画調査策定」、 昭和53年に「大島集団施設地区詳細計画策定」。 昭和56年'81東京都総合実施計画で「海のふるさと村」構想。 昭和57年から10ヵ年計画で「海のふるさと村」の整備が始まる。地割計画(昭和59年5月) |
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●昭和60年代~現在 昭和61年11月に、三原山が12年ぶりに噴火。11月21日の噴火により1ヶ月間の全島民避難となる。大島公園では、セントラルロッジ等が火山弾の被害を受けるとともに、園路等に大量の降灰があった。 昭和63年に黒潮小屋を改修し椿資料館とするための工事に着手(平成元年竣工)した。この年にズーストック計画が策定され、大島公園動物園では、「カラスバト・アルダブラゾウガメ・ハワイガン・ハハジマメグロ・オガサワラオオコウモリ」の担当園となる。 平成5年に海のふるさと村の整備が完了し開園面積が、322.2haとなる。(都有地49ha・地上権設定区域(泉津財産区273.2ha) 平成11年度に椿園の再整備が完了し、動物園区域以外の整備がひと段落となる。 平成16年には、昭和61年の噴火より通行止めとなっていたテキサスハイキングコースを開通した。また、動物園の排水の適正処理・バリアフリー化・施設の改修のため再整備計画立案。 平成18年度より平成22年度の5カ年計画で動物園再整備を行った。再整備の結果、レッサーパンダなどの新たな動物やふれあいコーナーなどより充実した施設となった。 平成21年度より老朽化した椿資料館(旧黒潮小屋)が耐震診断で問題があることが分かったため、2カ年計画でリニューアルを行った。 現在、大島公園地区には、国内最大規模の椿園、亜熱帯植物や大島特有の植物を集めた植物園、伊豆諸島唯一の動物園があり1日たっぷり楽しめます。 ゴゼ川地区には、雄大な太平洋を望み夜は満天の星空の中でのキャンプやロッジで宿泊でき、テニスコートやプールが整備された(いずれも供用中止中)。また、集団施設地区から伸びる歩道は、潮風が心地いい海岸遊歩道、裏砂漠を抜け三原山へ至るテキサスハイキングコースもあり、大島の自然を丸ごと楽しむことが出来る。 昭和10年(1935年)の開園以降、長く親しまれてきた大島公園がこれからもより良い公園となるよう努めていく。 【参考文献】 大島公園回顧録 森口吉五郎 都市公園 No.92 No.121 東京都公園協会 東京の公園 110年 東京都 大島集団施設地区基本計画調査報告書(昭和50年) 大島集団施設地区基本設計説明書(昭和61年) 大島公園動物園基本設計報告書(昭和62年) 大島公園椿園本園再整備基本設計説明書(平成4年) 大島公園動物園排水等基本計画(平成16年) |