沿革
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| 文禄 | 2年(1593年) | 信州深志(松本)の城主小笠原長時の曾孫、小笠原民部少輔貞頼が発見したと伝えられる。 |
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| 延宝 | 3年(1675年) | 幕府は長崎の人島谷市左衛門に命じて、本島を巡航せしめる。 |
| 天保 | 元年(1830年) | 欧米人5人とハワイ原住民などの20数人がハワイから父島二見湾に来て、奥村に住居を構え最初の居住者となる。 |
| 嘉永 | 6年(1853年) | アメリカ東インド艦隊司令官ペリーは日本へ来る途中、沖縄を経て父島二見港に寄港。島民のために牛、羊、山羊や野菜の種子を与え、石炭補給所用の敷地を購入した。 |
| 文久 | 元年(1861年) | 幕府は外国奉行水野忠徳らに命じ、小笠原調査のため、「咸臨丸」を派遣、居住者に日本領土であること、先住者を保護することを呼びかけ同意を得る。 |
| 3年(1863年) | アメリカで西洋式捕鯨を学んだジョン万次郎が、父島周辺で捕鯨を行った。 | |
| 明治 | 9年(1876年) | 国際的に日本領土と認められる。 |
| 内務省所管と定められ、移民を送り内務省出張所が設置される。 | ||
| 11年(1878年) | 父島北袋沢に内務省勤農局出張所設置 | |
| 13年(1880年) | 東京府の管轄となり、内務省出張所が廃止され、東京府小笠原出張所が設置される。 | |
| 15年(1882年) | 東京府出張所の行う行政に協議権をもつ会議所を設置し、議員15人を公選した。外国人が全て帰化した。 | |
| 19年(1886年) | 東京府小笠原出張所が廃止され、小笠原島庁が設置され、島司が置かれる。 | |
| 24年(1891年) | 火山列島を小笠原島庁の所管に入れ、硫黄島を正式に日本領とした。 | |
| 31年(1898年) | 南鳥島が小笠原島庁の所管となる。 | |
| 大正 | 15年(1926年) | 小笠原島庁は、郡制の廃止とともに東京府小笠原支庁と改められる(北硫黄島ほか数島は小笠原支庁の直轄として残る。)。 |
| 昭和 | 2年(1927年) | 天皇、戦艦「山城」で父島、母島に行幸される。 |
| 6年(1931年) | 沖の鳥島が小笠原支庁の所管となる。 | |
| 15年(1940年) | 大村、扇村袋沢村、沖村、北村、硫黄島村の5箇村に村制が施行される(硫黄島ほか数島は小笠原支庁の直轄として残る。)。 | |
| 19年(1944年) | 住民6,886人(残留者825人)が本土へ強制疎開。ただし、そのうち20余人が引揚のとき事故で死亡 | |
| 20年(1945年) | 小笠原支庁・村役場が下谷小学校に移転する。 | |
| 21年(1946年) | 米軍の直接統治の下に置かれる。欧米系島民135人が帰島を許され、うち129人が帰島する。 | |
| 23年(1948年) | 小笠原支庁・村役場が港区へ移転する。 | |
| 26年(1951年) | 対日講和条約が調印される。 | |
| 27年(1952年) | 対日講和条約の発効により、小笠原・奄美の施政権が分離、各村役場が廃止され、役場の一般事務は東京都総務局行政部地方課分室で行われる。 | |
| 28年(1953年) | 4月28日、小笠原支庁廃止(東京都職制沿革) | |
| 40年(1965年) | 5月、第1回墓参団が渡島する。 | |
| 42年(1967年) | 11月、佐藤・ジョンソン会談で、小笠原返還についての合意がなされる。 | |
| 43年(1968年) | 4月5日、小笠原返還協定調印 | |
| 6月26日、小笠原諸島が日本に返還される。小笠原村設置 小笠原総合事務所、東京都小笠原支庁及び小笠原村役場の行政機関設置 |
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| 45年(1970年) | 7月31日、小笠原諸島復興計画閣議決定 | |
| 47年(1972年) | 10月16日、小笠原諸島を国立公園に指定 母島出張所及び母島支所の設置 | |
| 49年(1974年) | 4月1日、父島及び母島の全域を都市計画区域に指定 | |
| 6月18日、小笠原諸島復興計画(改定10箇年計画)閣議決定 | ||
| 54年(1979年) | 3月31日、小笠原諸島復興特別措置法が小笠原諸島振興特別措置法と改正される。 | |
| 4月22日、村議会議員及び村長の設置選挙 | ||
| 4月22日、小笠原村が真の白治体として発足する(村政の確立)。 | ||
| 6月13日、小笠原諸島振興計画を内閣総理大臣決定 | ||
| 10月7日、父島婦人会発足 | ||
| 55年(1980年) | 1月1日、村助役選任 | |
| 1月25日、小笠原村総合開発審議会設置 | ||
| 3月15日、父島・母島スポーツ交流実現 | ||
| 4月1日、農業委員会設置 | ||
| 56年(1981年) | 7月1日、衛生局島しょ保健所小笠原出張所開所 | |
| 12月24日、小笠原村基本構想を議決 | ||
| 58年(1983年) | 6月21日、通信衛星による電話のダイヤル即時通話開始 | |
| 59年(1984年) | 1月10日、公益法人小笠原村商工会設立登記 | |
| 3月31日、小笠原諸島振興特別措置法延長・改正 | ||
| 5月12日、通信衛星によるNHK衛星第一テレビ放送開始 | ||
| 6月13日、小笠原諸島振興計画(改定10箇年計画)内閣総理大臣決定 | ||
| 60年(1985年) | 2月15日、ミカンコミバエの根絶が確認され、農林水産省による植物防疫法施行規則が一部改正される。 | |
| 61年(1986年) | 3月17日、小笠原支庁新庁舎完成 現在の小笠原支庁舎 |
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| 8月、硫黄島旧島民による職業体験実習の実施 | ||
| 62年(1987年) | 4月1日、小笠原出納事務所設置 | |
| 10月20日、社会福祉法人小笠原村社会福祉協議会設立 | ||
| 63年(1988年) | 6月26日、小笠原村返還20周年記念式典が行われる。 | |
| 平成 | 元年(1989年) | 3月31日、小笠原諸島振興特別措置法が小笠原諸島振興開発特別措置法と改正される。 |
| 5月22日、都立小笠原高等学校落成式及び20周年記念式典 | ||
| 6月28日、小笠原諸島振興開発計画内閣総理大臣決定 | ||
| 11月25日、村政確立10周年記念式典が行われる。 | ||
| 12月1日、小笠原ラム・リキュール株式会社設立 | ||
| 2年(1990年) | 1月5日、国土利用計画法の監視区域 (200㎡以上)に指定 | |
| 3年(1991年) | 6月15日、新ははじま丸就航 | |
| 11月29日、第6次空港整備5箇年計画で、小笠原空港が予定事業として採択 | ||
| 4年(1992年) | 6月26日、小笠原ラム・リキュール株式会社がラム酒の販売を開始 | |
| 5年(1993年) | 9月17日、母島出張所新庁舎竣工 | |
| 11月21日、小笠原諸島発見400年・返還25周年記念式典が行われる。 | ||
| 6年(1994年) | 2月12日、天皇皇后両陛下が小笠原諸島を行幸啓される。 | |
| 3月31日、小笠原諸島振興開発特別措置法の一部改正 | ||
| 6月24日、小笠原諸島振興開発計画(改定10箇年計画)内閣総理大臣決定 | ||
| 7年(1995年) | 1月5日、国土利用計画法による監視区域 (500㎡)に再指定 | |
| 8年(1996年) | 4月1日、テレビ地上波放送開始 | |
| 9年(1997年) | 3月、新造船おがさわら丸(6,700t)が就航し、片道の所要時間が25時間半に短縮された。 | |
| 10年(1998年) | 6月27日、小笠原村返還30周年記念式典が行われる。 | |
| 11年(1999年) | 6月15日、小笠原諸島振興開発計画(改定5箇年計画)内閣総理大臣決定 | |
| 6月18日、小笠原村村政20周年記念式典が行われる。 | ||
| 12年(2000年) | 1月5日、国土利用計画法による監視区域 (500㎡)に再指定 | |
| 11月30日、小笠原出納事務所廃止 | ||
| 13年(2001年) | 11月13日、「時雨山案を撤回し、新たな航空路を検討する」ことを決定(「都多摩島しょ振興推進本部会議」 ) | |
| 14年(2002年) | 6月1日、「硫黄島平和祈念会館」の供用開始 | |
| 7月9日、都と村において「小笠原諸島における自然環境保全促進地域の適正な利用に関する協定書」を締結 | ||
| 15年(2003年) | 5月26日、国の世界自然遺産候補地に関する検討会において「小笠原諸島」が世界自然遺産の候補地の一つに選定される。 | |
| 6月26日、小笠原諸島返還35周年返還祭が行われる。 | ||
| 6月28日、小笠原諸島母島返還30周年返還祭が行われる。 | ||
| 16年(2004年) | 2月7日、小笠原諸島返還35周年記念式典が行われる。 | |
| 3月31日、小笠原諸島振興開発特別措置法の一部改正 | ||
| 11月25日、小笠原諸島振興開発特別措置法の改正に伴い、東京都が小笠原諸島振興開発計画を策定 | ||
| 17年(2005年) | 原油価格高騰の影響等から、 TSLの就航が断念 | |
| 18年(2006年) | 11月22日、小笠原諸島世界自然遺産候補地地域連絡会議が開催される。 | |
| 11月28日、国の小笠原諸島振興開発基本方針の変更に伴い、小笠原諸島振興開発基本計画を変更 | ||
| 19年(2007年) | 1月31日、世界遺産条約に基づく暫定一覧表に「小笠原諸島」が追加される。 | |
| 20年(2008年) | 2月6日、小笠原航空路協議会を設置 | |
| 7月4日、小笠原諸島返還40周年記念式典が行われる。 | ||
| 21年(2009年) | 3月31日、小笠原諸島振興開発特別措置法の改正 4月23日、村政確立30周年記念式典が行われる。 12月22日、小笠原諸島振興開発特別措置法の改正に伴い、東京都が小笠原諸島振興開発計画を策定 |
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| 22年(2010年) | 7月2日、排他的経済水域及び大陸棚の保全及び利用の促進のための低潮線の保全及び拠点施設の整備等に関する法律の「特定離島」に沖の鳥島、南鳥島が指定される。 | |
| 23年(2011年) | 3月、小笠原父島・母島と八丈島を結ぶ海底光ケーブルが完成 6月29日、第35回世界遺産委員会において「小笠原諸島」が世界自然遺産に登録される。 7月、海底光ケーブルを利用した地上波デジタル放送が開始 10月14日、小笠原諸島世界自然遺産登録記念式典開催 |
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| 25年(2013年) | 1月、東京都離島航路地域協議会小笠原航路部会が設置される。 10月5日、小笠原諸島返還45周年記念式典が行われる。 11月20日、小笠原諸島西之島付近噴火 |
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| 26年(2014年) | 3月31日、小笠原諸島振興開発特別措置法の改正 12月25日、小笠原諸島振興開発特別措置法の改正に伴い、東京都が小笠原諸島振興開発計画を策定 |
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| 27年(2015年) | 1月5日、国土利用計画法による監視区域の再指定 | |
| 28年(2016年) | 7月、新造船おがさわら丸(11,035t)が就航し、片道の所要時間が24時間に短縮された。 7月、新造船ははじま丸(499t)が就航し、片道の所要時間が2時間に短縮された。 10月8日、小池都知事が来島し、東京2020オリンピック・パラリンピックフラッグツアーが小笠原村から開始 |
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| 29年(2017年) | 5月~12月、翌年に迫った小笠原諸島返還50周年に向け記念事業として各種プレイベントが実施された。 | |
| 30年(2018年) | 1月~12月、小笠原諸島返還50周年に向け記念事業として各種イベントが実施された。 | |
| 31年(2019年) | 3月31日、小笠原諸島振興開発特別措置法の改正 | |
| 令和 | 元年(2019年) | 11月28日、小笠原諸島振興開発特別措置法の改正に伴い、東京都が小笠原諸島振興開発計画を策定 |
| 2年(2020年) | 1月5日、国土利用計画法による監視区域の再指定 | |
| 3年(2021年) | 6月11日、世界自然遺産小笠原諸島登録10周年記念式典が行われる。 | |
| 4年(2022年) | 10月、母島出張所が開所50周年を迎える。 | |
| 5年(2023年) | 6月、小笠原諸島返還55周年記念式典が行われる。 |
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