資料解説~ 東京府の開庁準備

慶応4年(1868)8月17日に幸橋門内にあった旧大和郡山藩柳沢邸を東京府の庁舎にすることが決まると、実際に庁舎での業務を行うための準備が始まりました。開庁準備は、明治政府の指示のもと東京府の役人によって行われました。

今回取り上げた文書は、庁舎での事務作業に必要な蝋燭(ろうそく)をたてるための燭台(しょくだい)と手燭(てしょく)を用意するよう指示した書類です。

書類の構成

まず、書類の構成をみてみましょう。書類の右側に二段で書かれている名前のうち、下段は書類の差し出しで、上段は書類の宛所になります。下段の中田郷左衛門注1・秋山久蔵注2・下村弥助は東京府の調役、上段の仁杉八右衛門・藤田六郎右衛門は 会計掛で、この後、東京府出納方となります注3

書類の宛所と差出に続けて、書類の内容が書かれています。

町奉行所と東京府庁舎

開庁したばかりの東京府庁舎は、江戸時代までの町奉行所を引き継いだ市政裁判所の機能をそのまま引き継いだものでした。町奉行所は、「役所」、奉行の「住宅」、町奉行に直接仕えた内与力の住宅である「長屋」の3領域からなっていました。「役所」は、裁判空間と執務空間の二つに分かれていました。

この町奉行所の構成は、市政裁判所を経て、そのまま東京府庁舎に引き継がれました。

大名屋敷の転用

東京府庁舎は幸橋の旧大和郡山藩邸を転用しました。府庁舎が建っていた敷地は東面を正面入口として東西に長く、正面には冠木門(かぶきもん)が建っていました。冠木門は、江戸時代の大名屋敷に建てられた門の形式の一つでした。

正面玄関に近い場所に役所が、その奥に府知事らの住居が配され、道路に面した北側には役人が住む長屋が連なっていました(図)。開庁間もない東京府庁舎の平面構成は、基本的に町奉行所と同じでしたが、大名屋敷の場合も正面玄関近くに藩庁機能を持つ建物が立てられ、その奥に藩主の生活空間、敷地縁辺部に家臣の長屋が位置しており、類似した構成となっていました。ですから、庁舎としての転用も容易であったものと想像できます。実際に、開庁当初の東京府庁舎は「役所向」「住居向」「長屋」の3領域からなり、「役所向」は裁判空間と執務事務を行う「座敷向」に分かれていました。

「幸橋内東京府庁総地絵図」(東京都立中央図書館特別文庫蔵)
東京府庁舎のゾーニング
「幸橋内東京府庁総地絵図」(東京都立中央図書館特別文庫蔵)にゾーニングをプロットした。

執務にあたっての準備

この時期の『東京府行政文書』をみると、庁舎での執務にあたり筆記用具をはじめとして様々な事務用品を購入していることがわかります。その中に、燭台と手燭、蝋燭を購入している書類があります。庁舎は、広い敷地内にいくつもの建物が連なって建てられ、沢山の執務室からなっていましたが、現在のようにスイッチ一つで電気をつけることが出来ない時代、採光は屋外に接する部屋しかとることができず、建物の中へ入れば入るほど室内は暗くなってしまいます。そこで、事務作業するにあたっては手元を明るくするための明かりが必要でした。そこで東京府は、覆い付きの青銅製燭台10本と木製手燭10個を購入することにしたのが、今回の内容でした。

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