内田祥三関係資料 ~公文書館のイチ押し資料

関東大震災関係資料

関東大震災区画整理移転計画図

写真は、関東大震災後の区画整理事業のうち、建物移転にかかわる建物移転補償調書と移転計画図である。

資料の原所蔵者は、元東京大学総長内田祥三(よしかず)氏である。氏は大正・昭和にかけて建築界で活躍した方で、関東大震災当時は、倒壊した東京帝国大学の建築物の復興に携わるとともに、内務省復興院震災補償審査委員会委員を委嘱され、さらに同潤会の理事、都市計画関係の委員や建築学会会長も務めた。氏はこれら委員会等で配布された資料の大部分を保管し、戦時中は資料疎開もされたと聞く。

これらの資料の寄託についてご遺族から相談があったのは昭和58年(1983)。「資料は多くの研究者、行政関係者に役立つことが望ましい。死蔵はしたくない」との遺志を尊重され、自宅に所蔵されていた図書・資料も含め、昭和63年に東京都公文書館に寄託された。現在は寄贈資料として、多くの研究者・行政関係者に利用されている。

関東大震災で多くの貴重な命が失われた原因は、狭い道路、密集した市街地の存在があるといわれた。政府は復興院(後に復興局)を設置し、被害地である東京・横浜の復興計画を策定し、新たに特別都市計画法を制定して区画整理事業を実施した。広汎な市街地に土地区画整理事業を適用した例は、当時他に類を見なかった。

この事業で街路の新設・拡張や公園用地の確保が図られ、隅田公園・浜町公園・錦糸公園の設置など、自然景観の確保と同時に防火帯としての役割を担わせた。まさに明治以来の願望であった、近代都市建設を推進する上での一大転機の時期でもあった。

区画整理事業は、罹災地区を66地区に区分し(後に1地区削除され65地区となる)実施された。一部地権者の反対もあり困難を極めたが、昭和5年(1930)には対象地区の換地の確定や建物移転が終了した。この資料の総数は8700点におよび、補償審査委員会議案・補償金決定書・整理施行者(東京市長・内務省)の補償金決定要求書、それに添付された補償金調書(ガリ版刷り)と移転計画図の青焼図(縮尺1/300)で構成され、移転計画図と補償金調書が一対になっている。換地が確定し、設計図に照らして新しい街路や新たな境界が決まれば、東京市や国は建物の移転命令を出すのである。

これらは移転に伴う損害に対し、補償審査委員会が決定した補償金の資料であり、各種データが記載され、震災前後の町並みを彷彿とさせる資料でもある。

建物移転補償調書と移転計画図を閲覧される際は、閲覧室備付の目録をご利用ください。

同潤会資料と青山アパートメント

青山アパートメント配置図青山アパートメント配置図と
同潤会〔理事会及評議員会関係資料〕

内田祥三関係資料の中で、同潤会関連の資料は、他に類を見ない資料群である。

写真は同潤会青山アパートメントの配置図(請求番号U527.8-け-3554-35)と立面図及び同潤会〔理事会及評議員会関係資料〕(大正13年―大正14年)(請求番号U365.35-とし-2563)である。青山アパートメントは神宮前の表参道沿いにあり、壁面に蔦の絡まった3階建ての洋館で、1階にはおしゃれな店が並んでいることで有名であった。

同潤会は震災復興事業にあって、住宅供給と共に罹災者の生活再建を含めた授産施設の経営等を目的とした団体であり、国内外よりの義捐金1千万円を基金にして、大正13年(1924年)5月23日に設立された。設立当初は罹災者の仮住宅建設や、多数の木造小住宅の建設を手がけたが、郊外から市内に借家を求めて移住する人の増加をみて、当初のアパート建設計画1000戸を2000戸に変更している。震災の教訓として、都市型集合住宅(アパートメントハウス)の建設は耐震耐火構造の鉄筋コンクリート造りで進められ、昭和8年(1933)までに東京で13か所2225戸、横浜に2か所276戸を建設した。

青山アパートメントの敷地は、大正14年(1925年)に侯爵浅野長勲から買い取り、昭和2年(1927)には入居の募集を開始した。同潤会のアパートメントハウスの特長は、耐震耐火構造、各戸ごとに水洗便所の設置、和洋の生活様式の自由選択、台所のダスト・シュートの設置、水道電気暖房用のガスの設備等々を備え、各アパートメントごとに特徴のある付帯施設(児童遊園(青山、渋谷、清砂通アパート、)浴室、食堂、娯楽室、応接室、医務室、私設水道の敷設)を持った建物である。居住希望が高い同潤会アパートメントの好成績を見て、従来の下宿屋を改造してアパートメント経営に参加する者も増加したが、木造で設備も粗末なために、かえって同潤会のアパートの人気が高まったという。

同潤会の住宅供給事業は、昭和16年(1941年)に設立した住宅営団に引き継がれたが、同潤会のアパートメントハウスは、戦後の団地計画や住宅供給で実験的な役割を残したと評価されている。青山アパートメントは、平成12年(2000年)に再開発計画が発表され、歴史的建造物としての保存の要望も寄せられ、保存と開発の分岐点にたっていたが、計画は施行され、平成18年(2006)表参道ヒルズとなった。

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