東京都公文書館 - Tokyo Metropolitan Archives
明治11年(1878)1月11日、それまで静岡県の管轄下にあった伊豆七島が、東京府に移管された。
写真は、移管決定後の具体的な引継事務に関する公文書を綴ったものである。静岡県令(県知事)から東京府知事にあてた「事務引渡演説書」(引継書のこと)や、移管後府庁吏員が七島へ出張して各島の実情を調査した「伊豆七島記」などを含む。
明治11年1月11日は移管決定を告げる太政官布告の日であり、実際の事務引継は同年2月6日に実施された。同日付で東京府知事から静岡県令(県知事)にあてた受取書には「伊豆国八丈島ほか六島、当府管轄仰せ出され候(おおせいだされそうろう)については、本日土地人民及び諸帳簿、別紙書目(目録)の通り受け取り候(そうろう)なり」とある。
伊豆七島は、徳川幕府の直轄領、すなわち天領であった。明治維新後、韮山県、足柄県、静岡県と、その管轄は目まぐるしくかわっている。東京府への移管の理由について、内務卿大久保利通は、太政大臣三条実美にあてた上申書のなかで、七島の裁判事務が東京裁判所へ帰属したことをあげて、行政事務を円滑に遂行するためにも、また交通の利便性からみても、移管は静岡県と島民の双方にメリットがある、といっている。
移管の背景にあったのが、大久保も指摘しているように、東京と七島の深い結びつきである。江戸時代、島のひとびとは、特産物を江戸の「島方会所」に送り、その金で生活物資を購入していた。江戸が東京と改まっても、東京と伊豆七島は、生活のうえで密接につながっていたのである。
移管に際し、静岡県から七島関係書類310冊余が東京府へ引き渡された。その多くは、東京府庁時代に文書保存年限経過を理由に廃棄されてしまったが、幸運にも破棄をまぬかれた各島の明細調書や巡回日誌などが、今日公文書館に保存され、明治初期伊豆七島の実情を調べる際の貴重な歴史資料として、各方面からのニーズにこたえている。