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パラリンピアン木村敬一選手からのメッセージ

◆「助けることをためらうことなく カッコいいと思える街、東京へ」
(インタビュー:スポーツジャーナリスト 生島 淳/カメラマン 松川 智一)

  • 木村選手写真
  • 生島: 木村さんは、リオデジャネイロ・パラリンピックで大活躍されました。結果として銀メダル、銅メダルそれぞれ2個ずつ獲得されましたね。

    木村: リオデジャネイロ大会では、本当に自分の限界まで泳いだというか、あの時に出来ることはすべて注ぎ込みました。それでも、目標としていた金メダルには手が届かず、結果を受け入れるまでには時間がかかりましたね。

――そうでしたか。リオデジャネイロ大会は、東京2020オリンピック・パラリンピックの開催が決まってから最初の大会でしたが、帰国されてからはたくさんの声が木村さんに届いたと思います。

木村: 僕にとってうれしかったのは、北京、ロンドンのパラリンピックの時よりも、リオデジャネイロ大会の反響がはるかに大きかったことですね。過去2大会は、あまり自分のレースを見てもらってなかった気がします(笑)。関心がそこまで高まっていなかったのでしょう。ところが、リオの大会では、みなさんがテレビでレースを見て、その内容に感動してくれたことが伝わってきたんです。これはうれしかったですね。


  • ――街によって、パラリンピックに対する反応も違いますよね。木村さんは海外遠征の経験も豊富ですが、どの都市が印象に残っていますか。

    木村: パラリンピックは、アスリートが最善を尽くして世界一を決めるスポーツの祭典です。お祭りですから、そこに都市の個性が表れる気がします。リオデジャネイロは、みんながワイワイ騒ぐまさにカーニバル。単純に騒ぐのが大好きなんだと思います(笑)。ロンドンは観客のみなさんも一緒になって競技を盛り上げてくれました。東京がどんな色合いの街になるのか、僕としても楽しみにしています。
  • 木村選手写真②


――視覚障がい者の木村さんにとって、東京とはどんな街ですか。

木村: 東京は世界でもいちばん過ごしやすい街です。街で根気よく道を尋ねようと声をかけていれば、必ず誰かが答えてくれます。ただ、海外遠征でいろいろな街で過ごした経験からすると、東京は急いでいる人が多いですね。他の人に気を配れる「余裕」があれば、もっと素敵な街になれるのにな、と思ったりもします。

――それでも、しっかり助けてくれる人がいることはいる。

木村: 海外と東京では「ヘルプすること」、「助けること」に対する感覚の違いがあると思います。声をかけること自体、なんとなく躊躇する人がたくさんいる気がします。でも、ひと言「どうされましたか?」と声をかけてくれるだけでいいんです。僕からすると、ヘルプすることを「カッコいい」と思って欲しいなと感じます。面白いもので、外国では堂々と声をかけてくる人が多いんですよ。

――何か意識の違いがあるんですかね。

木村: 海外の方は、きっとヘルプすることが絶対にカッコいいとみんなが思ってるはずです(笑)。


  • 木村選手写真③
  • ――東京都は東京2020大会を契機に人権が尊重される都市の実現を目指しています。それに関しては、どう感じられていますか。

    木村: たしかに、人権の尊重や多様性を認めようという声を、東京でもよく聞くようになってきました。もちろん、目指すべき方向としては間違ってはいないと思います。それでも、目指している時点で、現状ではそれが実現できていないことを認めていることにもつながりますよね。僕としては、より自然にそうした社会を目指せたらいいのにな、と思います。


――なかなか鋭い指摘です。

木村: でも、こうした活動がきっかけになって問題や課題が解消されていき、次の世代には自然なことになっていればいいなあと感じています。

――東京という街で、健常者と障がい者のスポーツにおける共存についてはどう考えてらっしゃいますか。

木村: 健常者の人たちが東京でスポーツを楽しむ環境はかなり整っていますよね。そこに障がい者をうまく取り入れてもらえたらな、と思っています。たとえば、スイミングスクールで一緒になって泳いだり、視覚障がい者がジョギングしようとするなら、必ず伴走者が必要ですから、伴走者になるためのイベントに興味を持ってもらえればうれしいですね。

――「共生」がテーマでしょうかね。

木村: みなさんの気持ちに、ちょっとした余裕があれば、いろいろな形で共生することが可能ですし、それが多様性を認め合う社会への一歩になると思うのです。


  • ――競技者として、東京パラリンピックに向けては、どんなイメージを持ってらっしゃいますか。

    木村: リオデジャネイロ大会の後も、僕は泳ぎ続けています。僕にはゴールが見えませんから、タッパーと呼ばれる人にタッピング棒でターンやゴールのタイミングを教えてもらいながら、前に進んでいます。東京2020パラリンピックに向けてのイメージはまだ具体的にはなっていませんが、自分としては、目の前にある大きな大会でベストのパフォーマンスを披露して、それを積み重ねていけたらーー。そう思っています。
  • 木村選手写真④


■木村敬一(きむら けいいち) 競泳/リオ2016パラリンピック 銀・銅メダリスト
 2歳の時に先天性疾患による網膜剥離で全盲に。小学4年生で競泳に出会い、練習に打ち込んだ結果、筑波大学付属視覚特別支援学校で頭角を現し2008年北京パラリンピック出場。2009年には、日本大学文理学部に進学。2012年ロンドンパラリンピックでは日本選手団旗手を務め、銀・銅メダル獲得。リオ2016パラリンピックでは5種目に出場し、銀メダル2 つ、銅メダル2つを獲得。東京ガスに所属。

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