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オリンピアン鈴木明子さんからのメッセージ

◆「輝きが大きければ大きいほど 支える力も大きいことを忘れずに」
(インタビュー:スポーツジャーナリスト 生島 淳/カメラマン 松川 智一)

  • 鈴木選手写真
  • 生島: オリンピックのフィギュアスケートを見ていると、世界中の視線がひとりの選手に注がれる。どんな気持ちなのか、想像もつきません。

    鈴木: 演技をする時に、緊張しなかったことは一度もありませんね。2010年、初めてのオリンピックだったバンクーバー大会で、私はフリー演技の前の6分間練習の時に、「ああ、オリンピックはこれが最初で最後なんだな」と感じました。それが気負いとなり、力みにつながってしまい、不安が芽生えてきたんです。

――演技の直前ですね。どうやって、その不安を払拭したんですか。

鈴木: 出番は刻一刻と近づいていきます。私はコーチに何とかして欲しくて、自分の不安を打ちあけました。でも、コーチは、「もう何もしてあげることは出来ないよ」と私に言ったんです。

――なにか、鈴木さんを突き放したように聞こえます。

鈴木: コーチのその言葉で、私はオリンピックのリンクに立つまでに、どれだけ練習をしてきたのか、それを思い出すことが出来たんです。やり残したことはない。あとはもうやるだけなんだ、と。そう覚悟を決めてリンクに向かいましたが、演技を始める直前、私の左手は震えていました。

――素晴らしい演技の裏には、たくさんの練習、言葉が隠されていますね。

鈴木: 私は2014年のソチ・オリンピックにも出場することが出来ましたが、競技生活を通じて感じたのは、選手の輝きが大きければ大きいほど、それだけ支えている人の力が大きいということです。選手は表舞台に立ち、華やかで注目されるという「役割」があります。しかし、その裏ではコーチ、振付師、様々な役割を持った人たちの支えがあって、選手は演技を披露することが出来るのです。


  • ――鈴木さんは、周囲の人たちに恵まれたんですね。

    鈴木: はい(笑)。私は「とてもいい人たち」に囲まれているのが自慢です。子どものころは一人っ子で、高校まではまるで無菌室にいるように育てられてきましたが、高校を卒業して社会に出てからは面と向かって悪く言う人もいました。様々なことに悩んだりもしました。正直、傷ついたことも一度や二度ではありません。でも、その分、人の優しさをありがたく感じることが出来るようになりました。そして、周りの人に恵まれて競技生活を続けることが出来ました。


  • 鈴木選手写真②

――競技生活を続けることで、いろいろなことの価値に気づいたわけですね。

鈴木: フィギュアスケートの世界で生きたことで、様々なことを勉強できたことも私の宝物です。フィギュアはスポーツでありながら表現的な要素も強いので、私にとっては自己表現の場でした。それでも、苦手としていたジャンプが出来た時の喜びは競技を続ける上での励みになったんです。フィギュアでは、人それぞれ戦い方が違います。ジャンプが得意だったり、ステップが得意な人、ダンスが好きな人、いろいろな選手がいます。違うからこそ、私はフィギュアが好きなのです。

――それこそ、「多様性」があるスポーツですね。

鈴木: しかも、どれだけ転んでも失格になることがないスポーツです。自分が諦めない限り、終わらない競技なのです。失敗は怖い。でも、転んだとしても、私は途中でやめてしまう方が怖かった。怖がらずにチャレンジすることが大切だということを私はフィギュアから学びました。

  • 鈴木選手写真③
  • ――フィギュアのトップ選手は海外遠征も多く、いろいろな社会をご覧になられたでしょうね。

    鈴木: はじめての海外遠征は中学生の時で、内戦の傷跡が残っているクロアチアでした。そこから復興を遂げていく様子を目の当たりにすることが出来ましたし、多様性ということでいえば、オリンピックの舞台となったバンクーバーは様々な価値観があふれている町でした。

――バンクーバーは会場だけでなく、町全体の雰囲気がよかったですね。

鈴木: そうなんです。肌の色は様々ですが、みんなが前向きに接してくれて、私が元気をもらえる感じでした。それに、バンクーバーに限らず、カナダの人たちはアイスホッケーが大好きで、オリンピック期間中、カナダチームが勝ち進んでいくことで生まれた一体感も忘れられません。

――2020年には、東京らしい雰囲気が作りたいですね。

鈴木: 東京の人たちも、オリンピック、パラリンピックでは、日本人なりのホスピタリティを発揮できるといいですね。カナダ人のようにオープンにはなれないかもしれませんが、細かいことへの気配りだったり、礼儀を重んじることで、「小さな一歩」を踏み出すことが大切だと思います。


■鈴木明子(すずき あきこ)プロフィギュアスケーター/オリンピアン(フィギアスケート日本代表)
 6歳からスケートを始め、体調を崩してスケートを離れた時期もあったが、2004年に見事復帰。2010年バンクーバーオリンピックで8位に入賞。持ち前の表現力と世界観でソチオリンピックでは2大会連続となる8位入賞。現在は、プロフィギュアスケーターとしてアイスショー出演を軸に、テレビ出演や講演活動を精力的に行っている。

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